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テスト作成における最重要キーワード

――「限定」することで、拡散を防ぐ――

 全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)における国語テストの問題点と解決の方向性については、『授業力&学級統率力』(明治図書)2013年12月号に寄稿しているが、今回は2014年4月に行われた調査をふまえて述べる。なお、これについての私の解説(1万字)をウェブで公開しているので、参照していただきたい。

 私からすると、全国学力テスト(国語)は、こういう国語テストを作ってはいけないというお手本のようにすら見える。
 端的に言えば、問うべき能力が拡散している。
 国語力というものをどう定義しているのかが見えない。
 2014年小Bの最後の設問を見てみよう。国立教育政策研究所のサイトで、実際の問題が公開されている。以下、(引用)と記したものは、このサイトからの引用である。

「あなたは、詩1と詩2をくらべて読んで、どのようなことを考えましたか。次の条件に合わせて書きましょう。詩の内容や表現の仕方などについて、共通点やちがう点を取り上げて書くこと。『たんぽぽ』と『まど・みちお』の両方の言葉を使って書くこと。八十字以上、百字以内にまとめて書くこと」(引用)

 模範解答の一つはこうだ。
「二つの詩は、まど・みちおさんの植物や動物を愛する気持ちが伝わってくるという点で共通していると考えました。たんぽぽや動物たちの仲のよい様子を想像することができて、心が温まり、やさしい気持ちになりました」(引用)

 目を疑う。やはり、国語教育は国にとっては道徳教育なのか。
 こんな漠たる感想文が、日本最大規模の国語テストの模範解答なのか。「国語力」を試す設問の模範解答とは到底思えない。
 さて、本質に踏み込もう。たんぽぽを題材にした二つの詩をくらべさせるというのなら、相違点のみを書かせたほうがよかった。
 共通点を発見させる課題は、意味の差異が大きい場合にこそ有益になる。
 たとえば、エレベーターとバスの共通点(例、どちらも混雑の影響を受けて所要時間が変わる)。
 一方、相違点を発見させる課題は、意味の差異が小さい場合に有益になる。
 たとえば、幸運と幸福の相違点(例、感じる時間の長さが異なる)。
 今回の二つの詩は、後者に近い。
 むろん相違点の解答例も解説に挙がってはいるが、果たしてどれだけの子が相違点を書いただろうか。
 「相違点」でもなく「共通点」でもなく「共通点相違点」でもなく、「共通点相違点」という課し方をしている時点で、問うべき能力が拡散している。
 共通点を発見するには抽象化が求められる(同等関係整理力)。
 相違点を発見するには、観点を統一して対比することが求められる(対比関係整理力)。
 欲張らず、ここでは後者に限定すべきだった。
 能力というものは範囲を限定して初めて評定可能になる。
 「問題解決力」などという実体なきものは評定できない。
 「読解力」でもダメ。「対比関係整理力」まで限定して初めて評定できる。

 ところで、こんな答案の場合は、どう評定(採点)したのだろう。

「まど・みちおさんの『タンポポ』という詩は、いろいろな動物が出てきて、いいと思います。『たんぽぽさんが呼んだ』のほうは、あーらひょーらぷーらしょとかいうのが、踊っているみたいです」

 ここに共通点が「ある」と言えるだろうか。どちらも前向きに捉えているという点では、「ある」。
 しかし、「どちらの詩も楽しいです」といった、抽象化した表現はない。その意味では、「ない」。
 相違点はどうか。先にも述べたことだが、相違点は必ず統一された観点のもとに述べなければならない。
 しかし答案では、「いいです」「踊っているみたいです」となっており、食い違う。「いい・悪い」「踊っている・いない」などと観点を統一せねばならないが、そうなっていない。だから相違点は「ない」。しかし、少なくとも字面では、違ったことを書いている(多様性に気づいているともとれる)。その意味では、「ある」。

 こうなると、採点者の国語力に依存した採点となる。
 採点者の中に「統一された観点の有無をチェックする」という規準がないと、こういう答案はマルになったりバツになったりして揺らぐ。
 そのあたりは、国立教育政策研究所の採点方法の解説には載っていない。
 私が記述式で課すならば、その「観点」さえも事前に与えるだろう。「詩の内容や表現の仕方などについて」などと拡散させず、たとえば「表現」だけに絞る。
 この問題の出題意図は、国立教育政策研究所が公開する解説にこうある。

「二つの詩を比べて読み、自分の考えを書くことができるかどうかをみる」

 自分の考えを書けたかどうかを、そもそもどう判断するのだろうか。
 無理だ。答えが拡散する。
 「限定」――これが、テスト作成における最重要キーワードなのである。
 ちなみに、作者の名を必ず入れろというのも疑問だ。
 「話者」はどうなる? テクスト論の観点では? ……疑問は尽きない課題であった。


◆ポイント!
 どんな技術を問うのか。それを追究していけば、必然的に「限定」することになる。

 
『国語授業力を鍛える!』P.102-106より転載
それでは、そこまで偉そうに言う福嶋はどんなテストを作れるのか。
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