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2012年の連続ツイート(1)

2011年6月以降、月日は降順、時間は昇順にしました。


新←意見文より、仮想意見文を書かせよ

総合得点や偏差値に一喜一憂しわが子を叱り飛ばすなかれ!

全国学力テスト2012小学校国語は、センスが悪すぎる

12/04/01の朝日新聞教育面で特集された、最悪の公開授業

本当に「悲しい」の?センター2012年国語・評論 短評→旧
 

【12/04/29】
RT @inosenaoki: 新型うつ。村上隆の言うように徒弟奉公しかない。『言葉の力』を読んでもらうしかない。まず意見を言う前に相手がなぜそういうか考える。自分に意見があると思うのは錯覚。源氏物語やシェイクスピアにみな書いてある。まず本を読みながら安っぽい自分の思考を消すことだ。
posted at 21:47:44

「安っぽい自分の思考」、同感。個性偏重教育の弊害。 RT @inosenaoki: 新型うつ。… …自分に意見があると思うのは錯覚。源氏物語やシェイクスピアにみな書いてある。まず本を読みながら安っぽい自分の思考を消すことだ。
posted at 21:49:29

それだと、40歳になる頃に読書の重要性に気づくことになり手遅れ。RT @j----: まずは安っぽくても自分の思考を持ち、それを周囲に晒して磨いていく又は篩にかけていく、の順では駄目ですか?RT @ 「安っぽい自分の思考」、同感。… RT @inosenaoki 新型うつ
posted at 22:04:16→猪瀬氏公式RT

その一例がこの私。
posted at 22:04:47

ううむ。
posted at 23:58:10

「意見文を書く」ことよりも、「仮想意見文を書く」ことが大事なんだよな。自分の実際の主張である必要はない。「根拠さえあれば、こういう意見が通用するはずだ」という文を書くこと。これが大事。
posted at 00:04:29

もっと言えば、嘘でもいいから「なるほど」と思える文を書け、ということ。
posted at 00:07:08

ところが学校というのは、嘘を許そうとしない。少なくとも、「あなたの(実際の)意見を書け」と要求してくる。こういうことをしているから、自己の「個性」に溺れて、他者を拒否する(≒読書を過小評価する)ようにもなる。
posted at 00:10:06

私はたいていの場合、「白」に傾いた文を書いてきた子には、「黒」の文も書けと指示する。肯定・否定、賛成・反対、どちらにも根拠を添えさせる。あるいは、読んで納得がいくように書かせる。
posted at 00:13:16

多くの子は「白(道徳的)」な内容を書いてくる。挨拶は大事、思いやりが大事、等々。私はそれをいったんは評価するが、「でも、つまんないよこれ」と返す。「挨拶なんて要らない」「思いやりなんて要らない」といった結論で、根拠をそえて書いてこい、と指示する。
posted at 00:16:11

「黒」の根拠がうまくできあがると、今度は、「白」が弱く思えてくる。自分の実際の主張だったはずの「白」の根拠を、もっと強化しなければいけなかったということに気づく。
posted at 00:18:06

ところで、「ぼくは黄色が好きです。どうしてかというと、明るい色だからです」などというのは、因果関係をとらえる力を育てることにはならない。小学校低学年ならいいが、中学年でもこんなことをやっていてはいけない。
posted at 00:20:28

まず、「ぼくは」で始まる文を書かせないこと。同時に、「好き」というきわめて個人的な話を避けること。そのためにも、無生物を主語にする、抽象的概念を主語にする、といった工夫が必要になってくる。
posted at 00:22:37

「ぼくは春が好きです」ではなく、「春は過ごしやすい季節です」にさせる。そうすれば、「だんだんと気温が上がり、服装が身軽になるからです」などといった、客観的な根拠が引き出されてくる。「好きです」だと、「桜がキレイだからです」などで止まってしまう。
posted at 00:25:37

「好きです嫌いです作文」をいつまでやっていても、書く力は育たない。好きです嫌いです作文を、ほめちぎってはいけない。むしろ、眉をひそめるべき。
posted at 00:26:47

私は以前、「反社会的作文」と題した作文を中学生に課した。かなり盛り上がった。極端な話、殺人を肯定する文を書き、その根拠を書こうと努力した子もいたが、それをも止めなかった。その子は結局、「殺人の根拠を成り立たせるのは難しい、つまりは、肯定できない行為なんだ」という気づきに至った。
posted at 00:29:12

国語教育では、まず「書き」、次に「読み」であるべきだ。しかしそれは、まず「自己」、次に「他者」という意味にはならない。書くときにも、自己と一定の「距離」をとり、逆の視点でものを考えて書く。そういう練習があってこそ、明らかに自己と「距離」のある他者の文章にも順応できるようになる。
posted at 00:32:07

むろんいずれは本当の「意見文」を書けるようにならなければならない。しかしその前に「仮想意見文」を書く練習を重ねなければ。自己を離れ、言葉と言葉の形式的関係のみに集中できる環境を作る。そこで論理的思考力を磨く。その後で、自己に戻ってくる。これが国語科カリキュラムの方向性であるべき。
posted at 01:01:44

自己を離れ、言葉と言葉の形式的関係のみに集中させる方法として、もちろん読解問題があっていい。しかし、多くの読解問題は、あまりに自己との「距離」がありすぎる文章を題材にしているため、内容にも形式にもアプローチできずに終わってしまうのが常。
posted at 01:22:17



【12/04/19】
それにしても、何度も書いてきたことだが。どうして親というのは、子どものテストの総合得点と偏差値しか見ないんだろうな。そして、総合得点と偏差値だけを見て、一喜一憂し、ほめたり叱ったり。それがいかに愚鈍で空虚な行為であるか、よく考えてみろ!と、言いたい。
posted at 22:32:06

国語読解問題で、接続語を空所に入れる問題がよくあるよね。これ、本来は、与えられた選択肢を見なくても空所を特定できなくてはならない。接続語とは前後関係を示す言葉だから、前後がどのような関係か(同等関係、対比関係、因果関係等)さえ分かれば、あとは見当がつく。そこで初めて選択肢を見る。
posted at 22:35:43

空所の関係性を見抜き、「これは対比関係だ、じゃあ『しかし』『ところが』あたりだよね」と見当をつける。そこで初めて、選択肢を見る。この作業を繰り返すことで、選択肢(=罠)にひっかかる確率が減っていく。ただし、これは慣れないうちは時間がかかる。
posted at 22:37:23

私はすべての生徒に、たとえ時間がかかってもそのようにするのが理想なのだ、やってみろ、と指導している。選択肢を手で隠し、自分で考え、それから選べと。しかし、実際に他塾のテスト等の場でそれを実践した子というのは、なかなかいない。ところが、ある子がそれを実践していた形跡を、今発見した。
posted at 22:41:21

空所脇には「しかし」と書いてある。一方、選択肢は「ところが」だ。対比・逆接の接続語は、ほかには選択肢に入っていない。ということは、この子はまず自分で「この空所は『しかし』かな」と考え、それから選択肢を見たということだ。そしてそれが正解だった。
posted at 22:42:57

ただし、多少時間がかかっただろう。案の定、時間切れになって記述解答が文の途中で切れている箇所があった。記述解答の配点は高い。一方、接続語挿入問題の配点は低い。結果的に、得点は大きく下がった。この子は、価値ある挑戦をした結果、総合点を減じられた。
posted at 22:46:21

総合得点だけを見て一喜一憂する親は、この子がテスト中、教師の指示を忠実に守って選択肢を見ずに自力で論理的思考力を働かせ答えを導き出したという、称えるべき事実に、おそらく気づいていない。そして子どもを叱り飛ばす。あり得ない愚行だ。
posted at 22:48:22

こう書くと親たちはこう反論する。「そんな専門的な部分にまで、親は気づけませんよ」。それはそうだ。しかし、だったら、なぜ総合得点だけで子どもを叱り飛ばす? 根拠不十分じゃないか。子どもの努力の有無、工夫の有無、実力の有無を判定する根拠を欠いているのになぜ叱り飛ばす? やはり愚鈍だ。
posted at 22:49:57

親は専門性がない。それは分かる。だったら、選択肢は2つだ。1つは、専門的能力を自分自身に培い、その上で根拠を持って叱ること。もう1つは、そのような能力がない以上下手に叱ることもほめることもできないと諦め、大きな気持ちで身構え、子どもにゆったりと向き合うこと。
posted at 22:51:46

私の塾にこれまで通ってきた生徒の親の中には、前者もいれば、後者もいた。前者は前者で、尊敬に値する。なにしろ、日能研のテストをすべて親自身が自分で解き、分析し、その上で家庭学習をサポートしていたのだから。しかし一方、後者も後者で尊敬に値する。親とは本来、後者の存在であれば十分だ。
posted at 22:53:55

一番手に負えない厄介な親というのは、教えることもできず、子どもの能力・努力・工夫の有無を具体的に把握することもできないにもかかわらず、総合得点と偏差値の動向だけを見て、叱ったりほめたりする親だ。むろん、ほめるのはまだいい。許されないのは、そういった状態なのに叱り飛ばすことだ。
posted at 22:56:06

そして、残念なことに、総合点と偏差値だけを見て子どもを叱り飛ばす親というのは、基本的に、そのほとんどが、「手に負えない厄介なタイプ」なのだ。そういう親の子は、「厳しい」親のもとで鍛錬されていることをありがたく思うようにして、乗り切っていくしかない。がんばれ、子ども。
posted at 22:58:00

ほめることが大切なのではない。叱ることが大切なのでもない。大切なのは、「見つめる」ことだ。つまり、事実をとらえるということだ。とらえた事実がほめるに値するのなら、ほめればいい。叱るに値するのなら、叱ればいい。事実をとらえもせず、ほめたり叱ったりしてはいけない。
posted at 23:04:24

テストを受けている場面でのわが子の姿を思い描き、そのときのわが子がどんな思考回路をたどったのかを、テストの問題用紙から見いだそうと心がけているような親のもとで育つ子どもは、幸せ者だ。
posted at 23:17:02


【12/04/18】
全国学力テスト 問題と正答はこちらからご覧下さい - MSN産経ニュース http://t.co/ikB15LVD
posted at 11:12:08

全国学力テスト、国語問題(小・中)をチェック中… 35%読了…
posted at 11:44:30

全国学力テスト、国語、小学校。ひとことで言えば、ゴチャゴチャしている。あるいは、ワクワクしない。この時点で、子ども達は萎える。日本の子ども達が持っている本来的な能力を引き出しそれを測る全国規模のテストとして、決して最善であるとは言えない。
posted at 11:54:35

全国学力テストは、作問者のセンスが悪すぎる。
posted at 11:55:20

現場で子ども達と日々関わっている大人が作っているのなら、もっとスッキリとした、ワクワクする問題を作るだろう。そしてそれは、「どんな能力を測ろうとしているのか」という重要な指標とも関連する。
posted at 11:57:04

全国学力テスト(国語・小学校)、ひとことで言えば無理矢理だ。ひとことで言えば不自然だ。
posted at 11:58:38

全国学力テスト(国語・小学校)、よく考えられてはいる、しかし、そこで止まっている。洗練されていない。
posted at 11:59:24

全国学力テスト(国語・小学校)。ゴチャゴチャその1。大小の設問ごとの「説明」が長すぎる。「金子さんは、この雑誌の中の〈各回の主な内容〉を読み、編集者が読者に対して、どのようなねらいをもって示そうとしたのか、考えました。編集者のねらいを説明したものとして最もふさわしいものを…」
posted at 12:06:08

「編集者が読者に対して、どのようなねらいをもって示そうとしたのか考えました」だけで躓く子は大勢いる。こういったゴチャゴチャした説明があると、その説明の文章自体を読み解けない子どもにとっては、お手上げ状態となる。結果的に、この設問が問おうとしている能力を確かめられないことになる。
posted at 12:10:02

今ようやく小学校すべて読み終えたが、決定的な悪問がちらほら。やれやれ、全部指摘するには時間がかかるな。とりあえず昼飯なう。
posted at 12:18:53

さて、続けますか…。これ、新書に入れるよきっと。全国学力テスト批判と、その改善策。
posted at 13:02:04

全国学力テスト(小学国語)、ゴチャゴチャその1の補足。国語B、大問3。「金子さんは…」という脚色がそもそも要らない。さっき挙げた小問にしても、単に「編集者が〈各回の主な内容〉を載せたねらいはどれですか」で十分。なぜいちいち、金子さんの考え、みたいに脚色するのか。有害無益。
posted at 13:12:31

ゴチャゴチャその2。不必要な情報を混ぜすぎ。大問3の雑誌記事の問題にしても、あまりにもリアルに誌面を再現しすぎている。細かすぎる。むろん、そこから必要な情報だけを取り出す力を試そうとしているんだろう。しかし、うっかり隅々まで読んで時間をなくしてしまう子も多かったはずだ。
posted at 13:19:26

隅々まで読んで時間をなくし、「なーんだ、この部分だけ読めばよかったんじゃないか、しくじったなぁ…」と後悔した子も多かろう(生真面目な子、あるいは発達障害の傾向のある子など)。その子の答案が白紙だったとき、「白紙=能力がない」ということにはならない。
posted at 13:22:29

「白紙=居眠りしていた」というケースもあれば、「白紙=テスト慣れしておらず隅々読んでしまい時間が不足しただけで、実は解く力はあった」、このどちらなのかを判定することはできない。これでは学力測定テストとして不十分だ。
posted at 13:26:08

できるだけ白紙にならないよう、もっと部分的な問題を段階的に出題すべきなのだ。それでこそ、「どんな力があり、どんな力がないか」あるいは「日本の子どもたちの国語力の詳細な実情」を測るテストであると言える。
posted at 13:28:47

むろん、入試でこれを出題するのなら、やむを得ないだろう。入試ならば、その子の総合力を問うことも必要だろうから。しかし、これは学力測定だ。総合力だけを測りたいのではあるまい。
posted at 13:33:11

体力測定ならば「走る」「投げる」「跳ぶ」といった個々の能力を測るだろう。なのになぜ、総合力ばかりを求めるのか。「いや、教科別になってるでしょ」と言うかもしれないが、それは本質的に「切り方」が違う。それは、スポーツにおける「種目別」と同じだ。
posted at 13:35:05

「国語と社会を分けているからいい」というのは、「バスケとサッカーを分けているからいい」というのと同じ。国語力を総合的に測るというのは「バスケ力」「サッカー力」を総合的に測るのと同じくらい、難しい。試合で勝つか負けるかくらいしか指標がない。全国学力テストには、そういう粗暴さがある。
posted at 13:41:32

バスケでもサッカーでも、「パス」「ドリブル」「シュート」といった個々の技能は共通して求められる。それらを、個々に測ればよい。むろん、これらはもっと細分化できる技能だ。同様に、全国学力テストも、「A」と「B」などという分類では、まだまだ足りない。
posted at 13:43:05

もちろん、作問者は、「この小問は因果関係を読み取る力を求めている」といった明確な意図を持って作っているはずだ。しかし、「因果関係を読み取る力」を持っている子ども達が、その能力を発揮できる問題になっていない。
posted at 13:45:49

それは、「試合」の中で発揮させようとするからだ。「パス技能テスト」「ドリブル技能テスト」「シュート技能テスト」のように、部分的・段階的にテストするようにすれば、子ども達が個々の能力を持っているかどうかを、明確に調べることができる。そのためには、まず、ゴチャゴチャをやめるべきだ。
posted at 13:48:14

ところで、さっき書きかけた「悪問」を例示しよう。
posted at 13:50:06

全国学力テスト、小学国語B http://t.co/8Fefip0e 。マラソンに関する雑誌記事の問題の最後、小問4。次に示す解答文だけを読んでも、不自然さが伝わってくる。
posted at 13:56:29

(日本の女子選手は、世界的に活やくしてきたと考えられます。そのように考えた理由は、 )野口みずき選手、渋井陽子選手、高橋尚子選手の三人が二時間十九分台の記録をもち、 世界第十位までに入っているからです。(五十七字)
posted at 13:56:37

「女子選手が活躍してきたと考えられる理由は、三選手が世界十位に入っているからです」。これ、「考えられる」がおかしい。逆にしてみよう。「三選手が世界十位に入っている。だから、女子選手が活躍してきたと考えられる」。ほら、不自然でしょう。
posted at 13:59:55

こうするなら自然だ。「三選手が世界十位に入っている。つまり、女子選手は活躍してきたのだ」。
posted at 14:01:00

つまりこれ、単なる「言いかえ」問題なのだ。それなのに、「理由を説明する問題」の形を取って設問が作られている。論理的なひずみがある。これでは、答えようがない。必要な情報が誌面に見つからず悩んだ子もいただろう。
posted at 14:02:59

ちなみに設問はこうだった。「日本の女子選手は、世界的に活やくしてきたと考えられます。そのように考えた理由は、……」の「……」を埋める問題。これ、普通なら、「努力と工夫を積み重ねて練習してきたから」などといった内容を想定するだろう。しかし、そういった情報は誌面に何もない。
posted at 14:06:22

要するに、「活躍してきた理由」と、「活躍してきたと言ってよい理由」とが混同される悪問だった、というわけだ。
posted at 14:10:35

これは、問題の作成者が、「言いかえ」の関係(同等関係)と「原因・結果」の関係(因果関係)とを混同していることを意味する。「つまり」と「だから」を混同している。
posted at 14:13:03

むろん、「つまり」と「だから」には類似した用法もある。「つまり」には、言葉の送り手の解釈が含まれることがあるからだ(特に会話などでは)。とはいえ、この設問は明らかに「理由」を求めている以上、「つまり」で置きかえたほうが適切な内容を解答に据えるのは、間違っている。
posted at 14:17:13

疲れた。
posted at 14:18:36

センター試験もひどいし、全国学力テストもひどい。嘆かわしや。
posted at 14:19:13

もうちょっと踏ん張って書いておこう。新書に入れるから。
posted at 14:21:25

怒りですよ。だって、これで「日本の子ども達の国語力は云々」と言われることになるのですから。あとあと。 RT @Mr_longshot: @FukushimaKokugo 先生、熱い。これが、連ツイの熱さか。
posted at 14:27:54

みんな、結果しか見ないからね。全国学力テストの「結果」しか見ない。全国学力テストの「問題」の質がどうだったかを問うということをしない。しかも、中途半端に「問題」の批判をすれば、言い訳がましく聞こえるだけ。だから、中途半端に批判するわけにはいかない。
posted at 14:30:17

ちょっと休憩。
posted at 14:31:21

御意。 RT @-----: @FukushimaKokugo わたしは「子どもの国語のテストの成績が悪い」とおっしゃる方にお会いすると、お子さんの国語のテスト問題をご自分で解いてみることをお勧めしています。テストそのものに「問題」があると考えない方が多いので。
posted at 14:41:20

中学入試にも高校入試にも大学入試にもどこにでもありますね。 RT @ashadakun: @FukushimaKokugo その手の問題(悪問)は高校入試でもたまにみます。困ります
posted at 14:41:51

さっきから例示している小問(マラソン問題のラスト、理由を書かせる問題)は記述式設問だが、こんな条件がつけられている。
posted at 14:56:41

〈条件〉「マラソンの世界記録上位5人」と「日本人選手の記録」の二つの記事を結び付けながら読み、金子さんの考えの理由となる事実を、両方から取り出したり、まとめたりして書くこと。
posted at 14:56:58

この〈条件〉は、子ども達の答案の内容があちこちに揺れるのを防ぎ、客観的に採点できるようにするための予防線だと思われる。出題者もきっと絞り出すようにしてこの文章を考えたんだろうが、とかく分かりづらい。この〈条件〉だけで頭が混乱する。
posted at 15:01:10

そもそもこの〈条件〉、答えを教えているようなもんだ。ずるがしこい子は、これを見て、「そっか、『努力したから』といった『理由』じゃなく、単に事実を並べて言いかえればいいんだな」と分かっただろう。
posted at 15:04:09

逆に、本気で「理由」を考えた子は、「おかしいな、この事実をどう解釈すれば、『努力した』と言えるんだろう」などと悩んだだろう。挙げ句、条件から外れた別の箇所に書かれた次の部分を引用したかもしれない。「身体的、精神的な限界にいどむ選手」の部分。それが活躍の要因となった、というように。
posted at 15:06:46

この問題は、「活躍」という、いかにもプラスの意味のこもった言葉(主観的、感情的な表現)を使ってしまったのがいけなかった。単に図表から数値を抽出させ意味づけさせたいのであれば、もう少し客観的に「好成績」くらいにとどめるべきだった。好成績を上げていると言える理由は、と問えばよかった。
posted at 15:11:32

さて別の問題。
posted at 15:12:39

あ、その前に。今年の全国学力テストの委託先は、ベネッセと内田洋行。後者はまるで個人名(笑)。 http://t.co/uECWM86B 小学校がベネッセ、中学校が内田洋行。
posted at 15:20:12

ついでにこれも。【平成24年度全国学力・学習状況調査に関する実施要領(文科省) http://t.co/TBwhZVFs 】
posted at 15:21:48

ついでにこれも。【全国学力・学習状況調査委託事業の入札及び契約に関する検証について http://t.co/HPrLcdYy 】内田洋行っていろいろ問題あったんだね…。
posted at 15:32:12

だんだん時間がなくなってきた。
posted at 15:37:01

このような http://t.co/8M8MCdAf もっともらしい記事、どうかと思う。「国語では、雑誌の特集記事を題材にした問題が初めて出された。複数にまたがる記事から一つの解答を出す際に、見出しから適切なものを選択できるかが問われた。…
posted at 15:50:01

…こうした問題は知識や経験から論理的に思考する力を試す経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査(PISA)を意識した問題だ」
posted at 15:50:08

少なくとも、「知識や経験から論理的に思考する力」を問う設問になど、なっていない。マラソン問題の小問3は、一見そう見えなくもない。「マラソンの距離やその由来について説明するためには、( )の記事と( )の記事を結び付けながら読むとよい」の空所を選択させる問題。
posted at 15:53:22

しかしこれは単に要約(言いかえ)問題。「何㎞走るの?」という見出し(とその記事)が「距離」について伝えていることと、「マラソンのはじまり」という見出し(とその記事)が「由来」について伝えていることさえ分かれば、すぐに出来てしまう。どこが「知識や経験から論理的に思考する力」なのか。
posted at 15:56:19

要は、この小問で測れるのは「要約力」。記事の一部をそのまま本文として、「この文章はひとことで言うと何について書いてあるのか」とズバリ問えばそれでいい。答えは、「距離」、あるいは「由来」。こういった言いかえる力を直接試せばいいだけのこと。なぜ、ゴチャゴチャした問題にしてしまうのか。
posted at 15:59:49

表、グラフ、図表、イラストなどといった非連続型テキスト(雑誌誌面は「連続型テキスト」と「非連続型テキスト」の中間的位置)を、見かけだけゴチャゴチャ配置しておけば、それで思考力を問うことができていると勘違いする教師が多すぎるんだよ。PISA信仰もそこから生まれている。
posted at 16:04:57

こう言っておいて別の問題に言及していなかった。 RT @FukushimaKokugo: さて別の問題。
posted at 16:05:24

授業まで時間がないので、他の問題については簡単に書いておく。
posted at 16:05:40

全国学力テスト小学国語Bの大問1は、手紙文の書き方+敬語の使い方。まず、手紙の後付け(日付、名前の位置…)なんてのはA問題で問えばいい。というか、全国学力テストで「国語力」として問うほどのことなのか、とも思う。ズバリ思考力を問いたいのなら思考力に絞ればいいじゃないか。
posted at 16:08:43

敬語の使い方にしても同じ。敬語なんて、国語力の周縁も周縁。そんなの、実社会で身につけていくしかないし、たとえ問うにしても、今回の問題のような複雑な解答文を書かせるなんて、無理に決まっている。
posted at 16:10:28

「お返事には、ふうとうの中のはがきをお使いください。もし、ほう問させていただける場合は、六月の土曜日か日曜日で、宮本さんのごつごうがよい日時をそのはがきにお書きください」といった敬語を書けるかどうかを、全国学力テストで試すべきなのか。
posted at 16:12:14

敬語の問題なんて出しているスペースがあったら、論理的思考力を問う問題をもっとバリエーションつけて出せばいいのだ。
posted at 16:12:42

だいたいにして、子ども達の実態を無視しすぎている。6年生の子ども達にとって切実な敬語の課題といえば、「です」をつけられるかどうか、「はい」と返事できるかどうか、といったレベルだということを知らない人が作った問題だ。
posted at 16:14:03

そして、大問2は、小6の子たちが中学生に対して部活(の満足度)に関するインタビューをする、そのための準備としての話し合いをしている場面を文章化したという、きわめてややこしく面倒な、かつ不自然にして学校的、道徳的、非現実的な場面設定の問題。もうコメントするのも面倒。
posted at 16:16:38

もう時間がない。後で補足するかもしれんが… 誰か、トゥギャってくれ!!
posted at 16:18:33

「全国学力テスト2012(小学校・国語)はセンスが悪すぎる 福嶋隆史@ふくしま国語塾」をトゥギャりました。 http://t.co/ZtSggCV3
posted at 18:52:30



【12/04/01】
今日の朝日新聞教育面の記事は、エイプリルフールじゃないかと思うような、秀逸な「自主性尊重授業」特集であった。北海道教育大付属釧路小学校教諭、大月さゆり氏(37)による国語授業。「花まる先生」というコーナータイトル、「赤点先生」に修正すべきだ。
posted at 13:44:02

隅から隅まで、ひどい授業。「最低」と銘打つにふさわしい授業っぷりだ。これは、こんど書く新書の中で、具体例として活用できそうだ。ありがとう、朝日新聞。最低の授業を紹介してくれて。
posted at 13:45:27

記事の「つかみ」であるはずの冒頭がこうだ。【チャイムが鳴ると大月先生がつぶやいた。「ひとまず、どこかの段落を読もうかな」】「つぶやいた」とは何ぞ。「ひとまず」とは何ぞ。「どこかの」とは何ぞ。「読もうかな」とは何ぞ。
posted at 13:47:40

【全員で音読後、「今日やりたいことを教えて」と先生。「みっけカードを集めたいです」「なぞをもっと解明したいです」――。】こういう授業、吐き気を覚える。
posted at 13:51:49

【「私は私の読み方がしたかった。だからこの子たちにも、生涯にわたって使える、それぞれの読解手法を見つけてほしい」】 小学2年生からテクスト論か(笑)? そもそも、「それぞれの読解手法」なんてものがあるのか?
posted at 14:00:09

【教室には、壁いっぱいの大きさに拡大した本文がはってある。その上には、これまで学んだ作品のまとめと、その時使った勉強法。レオ・レオニのほかの作品の絵本、疑問や登場人物の気持ちを書くカード。教室中に、文章をより深く読むための「探求道具」があふれている】――おそらくノートは真っ白だ。
posted at 14:04:18

ノートを使え、ノートを。なぜ教師は、ノートを使わせない? 【小学校教育が危ない! No.63 ちゃんとノートに書かせているのか?】 http://t.co/S5km48Zb
posted at 14:07:11

教室に模造紙を張り巡らす教師の大半は、「見栄」でそうしているだけ。子どものためじゃない。自分のため。【小学校教育が危ない! No.64 教室環境に現れる 教師の配慮の差 http://t.co/grj5WkEk 】
posted at 14:10:14

記事の最後はこうだ。【みんな「自分で学ぶ国語」が大好き。発表しあった後、「次も自分たちでできますか?」と先生が言うと、歓声が上がった。】 「みんな」? 「大好き」? 「歓声」? あり得ない。嘘っぱち。元気のいい1割弱の子がおもしろがっているだけだ。後の子は皆「ちんぷんかんぷん」。
posted at 14:18:11

最後にひとこと。こういう記事を、新年度しょっぱなの紙面にもってくる朝日新聞教育担当記者の質を疑う。願わくば、エイプリルフールであらんことを。
posted at 14:21:27

平凡。RT @-----: @ 共感するところがたくさんあります。ただ、一概にワークシートやプリントがいけないとも思いません。算数の数直線の問題など、正しくかき写せないことで本時の学習課題に迫れないことがあります。理科のイメージ図なども然り。時と場合に応じて、使い分けが大切
posted at 14:25:14

「一概には言えない」とごまかしてそれ以上突き詰めて考えようとしない人もいれば、敢えて「一概に言ってみる」ことで、進むべき方向性を探ろうとする人もいる。この新年度初日から「一概には言えない」と言って自分の殻に閉じこもる教師の子どもは可哀想だ。
posted at 14:26:14

「一概には言えないという逃げ口上は使わない」という目標を、職員室の壁にでも貼りたまえ。子どもたちに学級目標なんて立てさせるまえに、教師としての目標を何かひとつ打ち立てたまえ。
posted at 14:28:21

学ぶ教師の生徒は伸びる。学ばない教師の生徒は伸びない。
posted at 14:34:35

模造紙や画用紙を多用する教師は、そもそも時代遅れ。【学校現場から無くすべきもの20選 http://t.co/mzLdcp49 17:時代遅れの「模造紙学習」】【危ない授業の見分け方 http://t.co/RwB7zrBU
posted at 14:39:34

さて、いい天気だし。こんなもんで怒りをおさめておくか…。
posted at 14:47:21

記事は北海道教育大付属釧路小の先生の授業についてでしたから、村山先生にはぜひご感想を伺いたいと思っていました。RT @muranori7: 無理に作った「考えさせる授業」「協同学習」にはこういうケースが間々見られますね。困ったことですRT @FukushimaKokugo
posted at 15:10:34

こういう小学校教師、山のようにいます。 RT @muranori7: この先生、何か大きな考え違いをしているのでは。子どもに何を勉強するか聞く?? RT @FukushimaKokugo: 全員で音読後、「今日やりたいことを教えて」と先生。
posted at 15:12:35

まったくそう思います。RT @muranori7: 付属学校ではこういう「考えさせてばかり」という授業、多いですね。授業ごとに何を学んだかをきちんと確認できない授業はおかしいと思います。RT @FukushimaKokugo: 記事は北海道教育大付属釧路小の先生の授業について
posted at 15:22:22

痛ましいですね。RT @muranori7: 北海道では、指導より支援と言われた「新学力観」の教育観がまだ強く残っているように思っています。それと半官の研究団体などの「問題解決学習」の伝統と。RT @FukushimaKokugo: 記事は北海道教育大付属釧路小の先生の授業
posted at 15:38:22

「指導」する教師は、「今日やりたいことを教えて」などとは、口が裂けても言わない。そういう発想自体がない。
posted at 15:43:19

授業は「支援」であり「指導」ではない、といった腐敗した思想が根底に流れているからこそ、「今日は何がやりたい?」などという言葉が口から出てくる。こういう教師が、「読解手法」なるものを「教えて」いるはずがない。
posted at 15:47:25

記事の最後に(談)として、こう書かれている。「自由なだけでは学びになりません。最初は様々な目標を与え、手法を教え、みんなで考えを共有します。一人一人の力がついたら学べる環境づくりを入念にして、各自で学ぶ時間を作ります」。じゃあ、なぜその「手法を教え」る場面を公開しない?
posted at 15:51:26

研究授業・公開授業というのは、どうしてこう、単元の最後のほうを公開するものが多いのかね。その物語文の単元がカリキュラム上14時間構成だとしたら、その2時間目や3時間目を公開したらどうなのか。そこでこそ教師の力量が浮かび上がる。
posted at 15:59:02

むろんそうでしょうね。そういうところで、記者の汚らしい「プロ性」が発揮されるわけです。 RT @-----: @FukushimaKokugo ということはむしろ取材する側の都合(方法などどうでもよく、記事にしたい「楽しそう」な部分のみ取材)という可能性も?
posted at 16:03:12



【12/02/12】
「米歌手ホイットニーさん死去」 http://yahoo.jp/WzuRwG
posted at 11:22:32

というより驚き。 RT @-----: @FukushimaKokugo 悲しいですね!
posted at 12:20:10

本当に悲しいときに「悲しいですね!」とは言わんがな(笑)。
posted at 12:21:21

そういえば。子ども達に作文を書かせると、「不安」も「心配」も「悔しい」も「寂しい」も「切ない」も「苦々しい」も何もかも「悲しい」のひとことで済ませようとする。「悲しい」という言葉は、それ以外に表現のしようがないときに、沈み込むようにして使う言葉。安易に使うな。
posted at 12:24:44

作文についてさらに言えば、まあ「悲しい」が出てくるだけまし、という考え方もある。なにせ、中学生でも、「悲しい」すら出てこず、「いやな気持ち」で片付けるからなあ。ひどいもんよ。心情表現をもっと教えないといけない。自主性を尊重して「そうか、いやなんだね」とか受容してる場合じゃない。
posted at 12:26:53

物語文で人物の心情を問う記述式設問に答える際には次の言葉を出来る限り使わずに書け、といつも指導している。「楽しい」「悲しい」「すごい」「いい」「いや」「良い」「悪い」など。意味が広すぎて、説明にならないから。もっとほかの言葉を探して書け、と。
posted at 12:34:01



【12/01/31】
センター2012国語 評論の出典全文 http://ow.ly/8MqXF (PDF)。これを読むと、切なさが募る。出題された文章の前後には、大変興味を引く、具体的で身近な話が載っている(食べることについての話)。これをすべてカットしてしまうとは!
posted at 21:38:11

冒頭・末尾の具体をすべてカットし、真ん中の抽象の部分だけを与えて読解させたい気持ちも、分からないではない。しかし、その結果として、文章があまりに分かりづらくなっている。こんな出題ばかりしていたら、国語嫌い・評論嫌いが余計に増えるだけ。
posted at 21:42:21

たとえ冒頭・末尾を含む全文が掲載されていたとしても、設問はいくらでも(難しいものも平易なものも)作れたはずだ。それをなぜカットしてしまうのか。設問を作る側に、それだけの技術がないということだろう。
posted at 21:45:08

あるいは、単に文章量が多くなりすぎると判断してカットしたのか。であれば、そのカットの仕方は間違っている。評論を短くするのではなく、小説を全部カットすればいい。その分、評論の設問を倍増させればいい。ただそれだけのこと。
posted at 21:46:47

およそ文章というのは、具体と抽象を行き来しながら作られる。抽象・具体・抽象・具体…という、サンドイッチ型。これが文章構成の基本。具体をカットして与えるというのは、具のない、パンだけのサンドイッチを食えと言っているようなもの。味わうことが目的でないにせよ、このやり方は異様だ。
posted at 21:50:11

そもそも筆者は、抽象の部分だけでは読み手に文意が伝わらないと思うからこそ、具体を添える。その具体をすべてカットしてしまったら、文意が伝わらなくなって当たり前だ。なのに今回のセンター試験はそれを無理矢理カットし、25分以内に大量のドライなパンを喉に流し込ませようとした。悪辣。
posted at 21:54:33

たとえあのセンター試験で満点を取ったとしても(現に今日、生徒の1人が評論満点だったが)、内容への理解はきわめて浅くなる。そりゃそうだ、あれだけ具体をカットされたのだから。「分かったような気がするっぽいかも」レベル。それでも満点。それが国語力と言えるのか。
posted at 21:56:15

まあ少なくとも、あのセンター試験2012評論の文章だけを読んで、筆者・木村敏という人を「くっそつまんねー文章書きやがって」的に思ってしまった若者は数十万人にのぼるだろうな…。前後を読めば、とても興味の湧く内容だったのに。…木村氏も苦笑しているに違いない。
posted at 23:30:18