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2011年 夏(6月~9月) の連続ツイート

6月以降、月日は降順、時間は昇順に変えました。

新←日能研カリテにもの申すPISA型学力に要注意

質問は「限定」せよ!答えを与えるということ

都立高校入試国語を斬る(2)都立高校入試国語を斬る(1)

Twitter速読なんて宿題なんて出すな

「長文読解テストで満点」=「国語力完璧」?

 読書感想文について親が持つべき心構え算数と国語の違い

カギは「対比」/読解問題の設問はもっと精選せよ

 下流志向の人々/子どもを「鍛える」ということ→旧
 

【11/09/27】
日能研のカリテ(カリキュラムテスト)4年(9/17実施)で、有害無益な接続語挿入問題を発見。泣けるわ…。引用したいところだが、長いし著作権もあるのでやめておく。手元にある方は見てください…。大問1のCです。これは「解答なし」。なのに82%が正解って、コワイわ…。選択肢ェ…
posted at 13:57:53

国語読解で穴埋め問題を作る場合、出典に元々書いてあった言葉が正解とされる。そりゃまあ当然といえば当然だが、出典が論理的に妥当な文章である保証なんて、どこにもない。にもかかわらず、出題者はそれを疑いもせず「穴埋め」にし、元々書いてあった言葉を「正解」としてしまう。
posted at 14:07:26

国語読解問題というのは、総じて、くだらない。しかし、そのくだらない存在に負けてしまい先へ進めないのであれば、それほど嘆かわしいことはない。だから、「出題者の意図を読み『正解』を出す」方法を教える。ただしそれはあくまで対症療法。本質的な「体力」をつける指導を、忘れてはならない。
posted at 14:16:15

じゃあその本質って何だよ、という人は、これ http://ow.ly/6FLA4 読んでね。
posted at 14:18:29

たとえば、次の(  )を埋めてみて。接続語。――「今日はいい天気だよね。気温もちょうどいいし湿度も低めで。(   )、ちょうどいいと言っても人それぞれだけど、やっぱりだいたいの人は爽やかに感じるよね」
posted at 14:27:11

ちなみに私は、「接続語」という言葉を「接続詞」よりも幅広い意味で使っています。副詞の一部なども含みます。接続語=前後の関係性を示す言葉、ということです。
posted at 14:30:02

そうそう。RT @-----: もっとも? RT @FukushimaKokugo 「今日はいい天気だよね。気温もちょうどいいし湿度も低めで。(   )、ちょうどいいと言っても人それぞれだけど、やっぱりだいたいの人は爽やかに感じるよね」
posted at 14:36:57

そうそう。RT @-----: もちろん、かな。RT @FukushimaKokugo 「今日はいい天気だよね。気温もちょうどいいし湿度も低めで。(   )、ちょうどいいと言っても人それぞれだけど、やっぱりだいたいの人は爽やかに感じるよね」
posted at 14:38:19

あまり答えがこないので続きを書いてしまおう。普通は、「たしかに」「もちろん」「もっとも」「まあ実際は」といった譲歩表現になるはず。でも、これと同じ論理構造で、与えられた接続語は次の4つ(先の日能研の問題)。「すると/でも/つまり/ところで」。答え、どれ?
posted at 14:39:36

でしょ(笑)。RT @-----: うーん・・・。これがテストで、答えを当てにいけと言われたら、「でも」。RT @FukushimaKokugo: あまり答えがこないので続きを書いてしまおう。普通は、「たしかに」「もちろん」「もっとも」「まあ実際は」といった譲歩表現に…
posted at 14:44:59

あえて選ぶなら「でも」しかない。しかし、ヘンでしょ。これ http://ow.ly/6FM6g の(  )に「でも」を入れる筆者って、文章力かなり低いでしょ。で、それを疑いもせず堂々と解答にする塾って、やばいでしょ。
posted at 14:47:43

この設問で分かるのは「消去力」だけ(ミゲルくんじゃないよ)。これだから、選択式問題というのは困るんだよ…。もし出題者に文句を言っても、「最もふさわしいものを1つ選べ」と書いてあるんだから、相対的に「まとも」なものを選べばいいでしょ、と開き直られる。
posted at 14:51:05

ナイスな分析。言い得てるし皮肉たっぷり(笑)。RT @-----: (>。<)失礼しました!!今追いかけました。「でも」を使える大人は独創的だなと思いました。アイドルのオリジナル語みたいな… QT @FukushimaKokugo
posted at 14:55:03

そうか。日本語のテストじゃなく、「アイドル語」のような「現代語」のテストだったのか。納得。これでもう十分だな(笑)。そろそろ塾に行かなきゃ。
posted at 14:56:54

日能研の4年カリテで、ってことですか? だったら書いた価値がありました。「ときどきこういう、とんちクイズみたいなのが出るんだよねえ」と笑っておくか、「悪問!」とすべてを伝えるか、ですね(笑)。RT @-----: @FukushimaKokugo まったく同じ問題で、解説に悩んでいました
posted at 14:59:35

さっきの文は、【でも、ちょうどいいと言っても人それぞれだけど、やっぱりだいたいの人は爽やかに感じるよね】ではなく、【ちょうどいいと言っても人それぞれだけど、でも、やっぱりだいたいの人は爽やかに感じるよね】ならば、通じる範囲。
posted at 15:07:55

作問担当者は、「悪文を読み解く力を問うている。なにがいけない? それこそがテストというものだ。それこそが入試だ」などと開き直るかもしれないが、悪文にもほどがあるし、なんせ、4年生向けのテストだからね。かわいそうの一言だよ。子どもが。親が。
posted at 15:23:10

まあ要するに、「Aだよね。でもBの場合もあるけどAでしょ」というような「でも」の使い方はおかしいという話。この位置に「でも」を入れると、「Aでしょ」の結論部分がAとは逆なのかと思えてしまい、誤読を呼ぶ。というわけ。
posted at 19:02:15

そもそも、「でも」と「けど」が一文の中に両方出てくる時点で悪文だわな。「シーソー文」だ。どっちが主張か分からない。「A。でもBだけど、A」って、異様ですね。
posted at 19:05:12

やれやれ…。回答をおよせくださったみなさん、ありがとうございました。
posted at 19:06:26


【11/09/26】
昨今の「PISA型学力」への遷移を危険に感じるのは、私だけか? http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/
posted at 16:23:36

知識・技能の活用力を、と言っても、その知識・技能をそもそも持っていないんですから。子どもは。RT @-----: 何故ですか? RT @FukushimaKokugo: 昨今の「PISA型学力」への遷移を危険に感じるのは私だけか? http://bit.ly/mV0a4H
posted at 16:38:24

教科書通りに答えることを教師が否定したり、自分の力で考えることを過度に強調したりするのは、「思而不学則殆」ということになる、ということ。
posted at 16:41:42

教科書通りに答えることができたら、むしろ、ほめるべき。教科書を見て真似していたら、むしろ高く評価すべき。算数の授業で、授業開始時に「教科書をしまいなさい、絶対に見てはいけません」などとやる教師がいるが、狂気の沙汰。
posted at 16:43:23

PISA型学力への流れは、そういう「我流学習」ないしは「我流指導」を横行させるきっかけになる可能性が、きわめて高い。「活用力」ばかりを求められる子どもは、いったい「何を」活用すればいいのか戸惑うばかり。実に危険。
posted at 16:47:40

PISA型の目指すところはむろん重要だし、それが教科教育の究極の目標であるとは思う。しかし、飛び越えすぎなんじゃないの、ということ。単純な話です。初等中等教育の役目を今一度認識すべき。
posted at 16:53:36

非連続型テキストばかり重視するから、「ぼくには行きました」という文のおかしさを理解できない小学5年生、といった嘆かわしい現象が起こってくる。もっと先にやることあるでしょ。小学校国語。
posted at 16:56:37


【11/09/19】

サッカーが好きだという人に「なんでサッカーが好きなんですか?」と問う愚(NHK。女子国際審判員へのインタビュー)。小学校低学年の作文課題みたい。なぜ赤が好き? きれいな色だから。みたいな。なぜサッカーが好き? 楽しいから。好きだから。…インタビューする価値なし。
posted at 21:38:34

プロスポーツの試合後のインタビューで、「試合を終えて、どうですか」のような漠然とした質問しかしないインタビュアーが目立つが…いつも疑問に思う。漠然と質問したほうが意外な回答を期待できるとでも思っているのだろうか。「あの場面のあのプレーは…」など、局面を限定して質問する方がいい。
posted at 21:45:34

学校から帰ったわが子に、「今日はどうだった?」と質問しても、「別に」と言われてしまう。局面を限定して質問すべき。「きのう材料を準備してたみたいだけど、図工、うまくできた?」「理科の実験、何やったの?」など。
posted at 21:49:54

自分から次々としゃべってくれる相手なら「どうだった?」でもいいだろうが、そうでないなら、質問における話題の限定は必須。どうだった、と問われても、楽しかった、などとまとめて答えたくなるのが当然。これ実は、国語の設問にも見られる問題点。
posted at 21:57:46

先日挙げた都立高校の国語設問(23年度小説の問5)もそうだが、公立高校というのは漠然とした質問が大好き。呆れる程に好き。特に推薦での作文課題なんて、書きようがない問いばかり。「高校生活でがんばりたいことについて600字で書きなさい」とか。「勉強と部活」の5字で終わっちゃう。
posted at 22:01:10

未体験の「高校生活」というテーマだけでも漠然としているのに、「がんばりたいことは?」なんて、漠然に漠然をかけ合わせたような問いかけだ。もっと局面を限定すべき。限定の仕方は、無限にある。絵に描いてセリフをつけられるような具体性が必要。
posted at 22:07:25

具体的場面での具体的思考を言葉にさせるだけで、その人間の抽象思考の全体像が、自ずと浮かび上がってくる。すべての具体は、つながっている。
posted at 22:09:14

まあとにかく、スポーツのインタビュアーでも、高校入試問題でも、漠然としすぎた質問を公然と投げかけているのを見ると、心底ため息が出るわけ。ちなみに、Twitterでも同様。漠然とした言葉を投げかけても、対話は続かない。
posted at 22:13:03

あ、そういえば、政治家へのインタビューもまったく同じだね。「答えたくなる質問」というのは、たいていの場合、具体的で局面が限定された質問。
posted at 22:15:49

たしかに。だから答えたくなくなる。RT @motoken_tw: 抽象的で局面が限定されない質問に対して揚げ足を取られないように答えるのはとてもむずかしい。RT @FukushimaKokugo: …「答えたくなる質問」というのは、たいていの場合、具体的で局面が限定された質問。
posted at 22:22:38

ああ、たしかにその手のものも、曖昧質問の代表格でしょうね。RT @-----: @FukushimaKokugo 就職活動のエントリーシートみたいですね
posted at 22:24:13

「あなたはなぜ教師になろうと思うのですか」といった教員採用試験の面接も然り。本気で採用する気があるのか、と思う。その抽象的な質問にいかにして具体的に答えていくかを試されている、という見方もできるが。でもやはり、教師の質を見抜ける質問だとは思えない。
posted at 22:27:43

教員採用の面接官は、たいていの場合、長い教師経験を持つベテラン。自分の教師生活を振り返れば、もっと具体的な場面が多々浮かぶはず。「あの場面であの言動をとることができればこそ教師だ」と思えるような場面があったはず。それを受験生に問えばいい。
posted at 22:34:20

国語でも面接でも、抽象的に問いかければ受験者の「具体的に答える能力」を見抜けるというのは、間違っている。限定された具体的な質問、極端に言えばイエスかノーでしか答えられないような質問を受けてもそこから話を広げていける人。そういう人こそ、中身のある人物。
posted at 22:47:42

抽象的な質問に対して具体的に答えようとする際、自分の最も得意な具体例A、B、Cを挙げればその場をごまかせる。ところが、Dに限定された質問をされたとき、実力のなさがバレることになる。DやEで問われても、その共通点を挙げながらA、B、Cを語れる人物かどうか。これをみるには限定が必須。
posted at 23:00:35

面接でも、教員採用のいわゆる論作文でも、高校入試の600字作文でも、はたまた読書感想文でも、採点者は皆、こう思っているだろう。「なんでみんな、似たような答えなんだろうな。困ったもんだ。個性がない」などと。そうじゃない。それは出題者の責任。限定されない課題を与えたからこその帰結。
posted at 23:07:24



【11/09/15】

答えを与える、ということをためらう親や教師がいる。どんな小さな課題でも答えを与えず、一から十まですべて「自分で」考えさせようとする。こういうやり方をしているから、「勉強嫌い」が増える。
posted at 12:17:21

一から十までのうち、一と二の答えを教えてしまえばいい。三と四は前半を教えればいい。五はヒントだけ与える。六は自力でやらせるが、ある程度時間を見て、ヒントを与える。七から先を、自力でやらせればいい。十になるときには、すべて自力で、短時間でできるようになっている。
posted at 12:19:47

答えを与えることをためらう人というのは、問題を「十までしかない」と思っている。しかし、十より先にも問題はある。百までも千までもある。いくらでも先がある。「自分で」考えるしかないレベルの問題に、早晩必ず突き当たる。だから、初歩的なところでは、どんどん教え、与えればいいのだ。
posted at 13:05:59

ところで、これまでに私が出版した問題集はいずれも、解答が別冊になっていない。これについて、「本体と分けてほしかった」とリクエストしてくる人がちらほらいる。しかしそういう人は、「答え」の価値を分かっていない。
posted at 13:08:19

別冊にしてしまったら、たいていの場合それを親がどこかに隠してしまう。そして、ほとんど使わなくなる。少なくとも、子どもには読めなくなる。しかし、私の問題集の解答冊子には、「与えるべきお手本」としての例文等が豊富に書かれている。解答を別冊にすれば、それらが無駄になる可能性が高まる。
posted at 13:09:59

本体に解答がついていると、親や教師の目を盗んで解答を「ちら見」してしまうかもしれない。たしかに、まったく最初から何も考えず書き写しては、さぼっているだけということになる。しかし、どう考えても答えが出ない場合に、あえて解答を一読しその後再び問題に当たってみるというのは、価値がある。
posted at 13:15:20

だから私は授業中、全然書けない子に対し、よくこういう指示を出す。「じゃあ、まず答えを見てごらん。2~3回読んでみて意味が分かったら、次は答えを見ずに、そっくり同じ文を解答欄に書いてみなさい」。すると、少しはまともな文になるが、たいていの場合、やはり解答とはズレる。そういうものだ。
posted at 13:20:03

書けない子というのは、答えを見ても書けないのである。そのくらい、窮しているのである。それを知らずに、親は、教師は、一から十まですべてを自力で考えさせようとする。子どもは、必然的に書くことが嫌いになる。
posted at 13:21:48

答えを見るなと言われると、見たくなる。しかし、見てもいいよと言われると、別段見たくもなくなる。そのうち、「答えなんて見ないで書いてみたい」という気持ちに、自然と変わっていく。答えを見てでも曲がりなりにも「書いた」という事実が、子どもを勇気づけ、意欲を呼び起こす。
posted at 13:25:22

解答を盗み見てさぼり、丸写ししている子から解答を奪い取る親・教師というのは、自主性を尊重している割には、それが徹底できていない。本当に自主性を尊重するなら、「解答を丸写ししてさぼっていると何の達成感もなく空虚だ」ということに「自力で」気づくまで、放置すべきであろう。
posted at 13:32:44

しかし、「自主性尊重」というのはとにかく時間がかかる。目標までの時間は限られているのだから、一から十まで自主性尊重、とはいかない。ある程度後ろから押してあげて、伴走してあげて、あとは自分で走らせる。この当たり前のことをしなければ、目標は遠いままになる。
posted at 13:38:53

そうそう。そんなもんです。RT @-----: …解答から良い知識を貰って自分のものにすればいい、とプライドを棄てて納得したら、こっそり答えを見たりしなくなりました♪ QT @FukushimaKokugo
posted at 13:50:49

もちろん、写すにもステップがあるから、ひたすら写せばいいという写経式学習に全面的に賛成するわけではない。そのあたりは新刊(難関校に合格する子の「国語読解力」 http://ow.ly/6uTuU )にも書きましたからお読みください(ここに書いてもいいけどそろそろ仕事)。
posted at 13:49:56



【11/09/11】
小川洋子の短編集『海』に収録されている「ガイド」を読んだ。先日書いた、都立高校23年度国語入試問題の出典になっている小説。いい話だった。読んで確信した。やはり入試問題に小説を出すべきではない、と。
posted at 13:04:20

都立高校23年度国語(小説読解)の問2は、出題範囲に含まれていない物語前半を読んだ人でなければ答えられない設問。正解の根拠はそこにしかない。それでも答えを導き出せてしまうのは、選択式問題だから。消去法で、「あ、これしか残らないね。ふーん、そういう話、……なの?」と答えが「出る」。
posted at 13:14:19

選択式問題というのは、危険に満ちている。消去法でしか答えが出ない設問であっても、「正解」し得点さえできれば、「理解した」つもりになれる。「できた」気になれる。「国語力がある」と思えてしまう。子どもも。そして、親も。さらには、教師も。みんなが、騙される。
posted at 13:20:53

少なくとも、あの問題(都立高23年小説の問1~4+5)で得点できた生徒の国語力を、私ならば、決して保証しない(むしろ疑う)。と同時に、そんな問題の出来・不出来に一喜一憂する中3、親、教師の顔を思い浮かべて、深いため息が出る。
posted at 13:27:19

それにしても気になるのは、小川洋子さんは、自分の小説がクライマックスだけを切り取られた(伏線をすべてカットされた)形で、レベルの低い出題者によるくだらない設問をぺたぺた貼り付けられ、10分で読み流すこと不可避な都立高校の入試問題になっているという事実を、ご存じなのであろうか。
posted at 13:33:03

なんというありきたりな返答。幻滅。そんな問題なら合格しないほうがまし。RT @-----: それは得点できなくては合格もできませんから。RT @FukushimaKokugo そんな問題の出来・不出来に一喜一憂する中3、親、教師の顔を思い浮かべて、深いため息が出る。
posted at 13:34:41

質の低い入試問題を作る教師、あるいはそういう教師が幅をきかせている学校では、質の低い教育しか行われていない。質の低い入試問題に目をつぶり「合格」を勝ち得ても、その先に待っているのは、結局のところ質の低い教育だけ。質の低さは、ずっとつきまとう。
posted at 13:42:18

独自問題を出題する学校が、もっと増えた方がいいね。高校も。
posted at 13:44:58

私立中学を選ぶひとつの規準として私がよくすすめているのは、国語の問題をつぶさに検討するということ。国語入試問題の良し悪しで、その学校の教育の良し悪しはかなりつかめる。少なくとも方向性が分かる。学園祭でわが子が喜んだから、なんていう理由で志望校を決めてはいけない(どこだって喜ぶ)。
posted at 13:47:15

99.999999%の親は、「合格すればそれでいい」と思っている。だから、出版社もそれをタイトルに入れたがる。今度の私の新刊も、そういうタイトルになった。もう、とうの昔にそのへんはあきらめているけれど、切なさはぬぐえない。
posted at 13:51:00

新書は、辛口批評も書かせてくれる。来年出す中公新書ラクレの本、書くのが楽しみだ。書くための時間が少ないのがネックだが。まあ、なんとかなるだろう。ちなみに、この本のタイトルはかなりドギツイ。こういう本を書けるのを待っていた。
posted at 13:52:32


【11/09/08】

都立高校23年度(今年実施)国語、小説読解問題。小川洋子「ガイド」が出典。この小説の本来のメッセージ(テーマ)と無縁のところで展開される、軽薄無意味な選択問題4つと、どうにでも答えることのできてしまうような高校入試特有の記述課題1つで構成される。痛ましい。嘆かわしい。
posted at 14:38:27

やってしまえー。RT @fujinamicocoro: この設問にはお答えできませんとか言って、宿題もテストも真っ黒に塗りつぶして出せたらいいのに??(笑)  東電、真っ黒な手順書でも秘密? 衆院委に提出 http://ow.ly/6osjT
posted at 14:40:31

公立高校入試の選択問題(特に小説)って、どうしてこうも軽薄無意味なのかな。正解できても何の達成感もない。「そうか、こういう読み取り方ができるんだな」と受験生に気づかせるような良問をなぜ作らない? 前後を読めばすぐ分かってしまうような小学校のテストの延長のような設問、ため息出るよ。
posted at 14:43:48

あーーーいらいらいらいららいららい。国語教育界と戦うための闘志を充電するには、入試問題を解くのが一番だなあ。このイライラがエネルギーになる。
posted at 14:45:16

都立23年度小説読解、問5。解く気も起きない。ほんと、藤波こころじゃないが、黒く塗りつぶして出してよし、の問題だ。「このときの『僕』の気持ちを母に伝えるとしたらどのように言うか、あなたの話す言葉を50字で」なんてさ。まず思うのが、「話す」言葉を「書かせる」なよ、と。
posted at 14:48:35

この素材文を問題にするなら、どう考えても、「思い出を持たない人間はいない」という老人の言葉への「解釈」を問うべきだ。他の選択問題をすべてカットし、この1題だけで勝負すべきだ。
posted at 14:54:12

小説の「切り取られた一部」を超短時間で読み流し、これも超短時間で「軽薄無意味な選択問題」に「正解」する、そのための練習問題を次々と解く中で、中学生は、「小説を読む」とはこの程度のことなのだ、といった浅はかな態度を植え付けられるわけだ。なんという害悪。犯罪だなこりゃ。
posted at 14:59:32

東京都に代わって、小川洋子さんに謝りたいわ、本気で。あなたの名作をこんなくだらない問題で汚してごめんなさい。……せめてもの罪ほろぼし?に、アマゾンで文庫を買いました。この「ガイド」という短編が入った文庫を。
posted at 15:00:53

作問者は、この小説を読んで、この程度の設問だけこしらえて満足なのかね。作問者とて国語教師だろうに。文章を読めば、「お、ここは問題にしてみたいな!」という欲求がふつふつとわいてくるはずなのだが。その「ここ」があまりにズレているよ、都立高校入試問題作成者殿…。
posted at 15:05:19

むろん、難易度をある程度下げるためにやむをえず「軽薄問題」を入れているのかもしれないが。だったら、最初から、2000~3000字レベルの長文を複数読ませるような形態をやめるべきだろう。500字程度の短文を2つも読ませれば十分だ。
posted at 15:09:22

まあ要するに、高校入試問題作成者に、「国語力とは何か」「どのような力を試す問題を作るのか」「そのために最適な設問とはどのようなものか」といった整理された規準がないんだろうな。去年までこんな感じの問題だったから、今年も踏襲ね。といった惰性で、毎年毎年、問題を作っているんだろう。
posted at 15:11:22

思い出に題名をつける「題名屋」として生きる老人に、少年がたずねる。「どうして詩人をやめちゃったんですか?」 しばらく黙ったあと、老人が答える。「詩など必要としない人は大勢いるが、思い出を持たない人間はいない」――深いね。ここの解釈を問わずして、いったい何を問う? この小説。
posted at 15:46:47

老人、というか、本文中では「男」と書いてあるけどね、念のため。描写から老人が浮かんだわけで。
posted at 15:56:15


【11/08/31】

いい加減、Twitterも「非公式RT(非公式QT)」を「公式」に導入したらどうなのかね。これだけみんなが使ってるんだから。おカタい判断、Twitterらしくない。
posted at 23:25:38

リプライって、分かりづらくてしかたない。リプライを受けた側が「会話を表示する(hootsuite)」などの余計な操作を強いられるのは、なんだかヘン。リプライを発する側が非公式RTで引用し話題を示すのが普通。
posted at 23:26:44

などと書くと、「公式RTのほうが情報が正確に伝わる」という意見が当然出てくるわけだが。だって、もうこれだけ、Twitterクライアントが氾濫していて、非公式RTが乱れ飛んでいるわけだから。今更そんなこと言わずに、非公式RTでも情報の正確さを保つ方法を考えた方がいいんじゃないか。
posted at 23:32:41

公式RTの良さは、情報の正確さ云々よりも、「顔(アイコンや名前)がTLに登場するため、新たなフォロー・フォロワー関係が増えるきっかけになる」ということ。非公式だとIDしか見えないから、フォロー・フォロワー関係に発展しづらい。…でも、公式の良さってせいぜいそんなところ。
posted at 23:36:38

震災時に非公式RTで問題になったのは、「投稿日時」が曖昧になるということだった。「助けて」ツイートが拡散されるうちに時間が過ぎ、もうとっくに済んだ出来事なのに「今」の情報として拡散されてしまった。でも、せいぜいそのくらい。
posted at 23:45:33

非公式RTでも元ツイートの投稿時刻が明示されて残っていくようなシステムにできないもんかね…。そうすれば、非公式RTが「公式」になる扉が開かれると思うんだが。
posted at 23:52:27

私が言っているのは、公式RTだけを「公式」にせず、非公式RTも「公式」にしたらどう、ということ。要するに、ただ単にチョイスできるようにしてほしい。そうなってないから、意味不明のリプライに戸惑うことになる。クライアント使わずに本家だけでやっている人の率は依然高いから(特に初心者)。
posted at 23:54:36

非公式RTのデメリットとしてよく挙げられるのは、「情報にあれこれ手を加えられてしまう」ということ。それはたしかにある。断片だけを拾われて、主張の核心を逸れてしまう、と。でも、それって、Twitterの「逃れられない本質」だからね、結局。140字でも、10字でも、所詮は断片。
posted at 00:03:50

あ。9月になったね。
posted at 00:13:44

ツイートするときは、1つ1つのツイートが「一人歩き」することを覚悟した上で書くしかない。だから、「非公式RTされたせいで情報が誤解された」という主張は、あまり説得力を持たない。それは、非公式RTされたせいではなく、Twitterで情報を発信したせい。
posted at 00:19:48

これ http://ow.ly/6hFvB 、 @tsunkuboy さんがRTしてくださった模様。ありがとうございまーす。で、これがツイートの「一人歩き」。
posted at 00:24:51

(承前)ただ、Twitterで反論や議論を展開するつもりなら、まずは相手のツイートを遡るのが当然。マナーであると同時に、自己防衛でもある。「あ、そういう流れだったのね、じゃあいいです、ごめんなさい」と謝るハメになるのは自分。振り上げた拳を下ろせないタチの人は、遡る習慣を。
posted at 00:28:49

なんだかたくさんリプライが届き始めましたが、結局、一人歩きした「ツイート断片」への「反論」が目立つので返信しません、あしからず。「遡って」ください(笑)。
posted at 00:39:52


【11/08/04~05】

「速読」なんてのは、ほとんどがマユツバ。
posted at 23:40:40

速読というのは、自分の内側にある知識や経験によりかかった読み方にしかならない。
posted at 23:47:36

文章というのは、読みながら何度も立ち止まり、進んでは戻り、また立ち止まり、想像し、調べ、考え、それから次に進む、というくらいの読み方でないと。少なくともそうでなければ、他者の言葉を血肉にしたことにはならない。読解偏重・速度重視の国語教育の害悪もそこにある。
posted at 23:58:51

ちなみに、漫画だって同じ。電話帳をめくるかのように漫画の頁をめくっている人が多々いるが、もったいないなあ、と思う。もっと、絵を「読む」べき。
posted at 23:59:50

そもそも、精読というのは時間をかけて行うからこそ精読たりうる。なのに、受験国語の読解問題は、超超超短時間で「精読」まがいのことをさせようとする。無理に決まってる。時間制限を優先するなら、「筆者の主張を200字で要約せよ」といった問題1つだけに絞るべきだ。
posted at 00:25:28

「筆者の主張を200字で要約せよ」という最重要問題に正答する力を持っていても、指示語問題、脱文挿入問題、段落整序問題などといった些末な設問に手間取っているうちに、それを答える暇がなくなってしまう。で、実力が正当に評価されなくなる。ひどいね。
posted at 00:33:12

脱文挿入、段落整序ってのは、接続語・指示語あるいは文の内容をもとにして、最もつながり(論理的関係)のある文を探すという意味で、論理的思考力を試す問題になっていないわけではない。しかし、時間の割に出題価値は低い。同じだけの時間をかけさせるなら、文を書かせるべき。
posted at 00:43:20

読解問題を解くときに「本文よりも設問を先に読む」なんて、ほんとにくだらない。どんな設問がきても解答できるような正攻法で、堂々と真正面から読むべき。私はいつもそうやって解いている。設問なんて見ない。長い目で見れば、こういう習慣を育てることこそが子どもの将来を支えることにもなる。
posted at 00:56:25

対象が違うんですよ。読む文章が。RT @-------: @FukushimaKokugo 実社会で必要なのは、相手の言わんとすることを素早く理解し反応することだと思います。なので、短時間で読ませることは、理にかなった方法ではないでしょうか。読解力を養う段階では時間をかけた精読が必要だとは思いますが。
posted at 14:25:11

速読重視を批判すると必ず出てくるのが「実社会では速読が求められる」という言葉。聞き飽きた。実社会で云々ってのは、会議の資料とかそういう類の文章を読む話。一方、読解で読むことになるのは、もっと重厚な「本」の一部分。そもそもが速読対象ではない文章。それを速読させることを批判している。
posted at 14:28:24



【11/08/03】

インターネットを利用するのはいいけど、そもそも、「宿題」という習慣をなんとかすべきだな。RT @yucaseemedia: 小学生の4割が宿題にインターネット利用 http://bit.ly/mXcWS5
posted at 15:08:22

宿題って、要は、「持ち帰り仕事」の強要でしょ。教える側の手抜き、怠慢でしかないと思うんだが。教師は授業で学力を保証する。少なくとも、そういった気概で取り組んでいる教師は、宿題なんて出さない。
posted at 15:10:22

鱗になっちゃう世間が痛い。RT @----- これは目から鱗ですね。 RT @FukushimaKokugo 宿題って、要は、「持ち帰り仕事」の強要でしょ。教える側の手抜き、怠慢でしかないと思うんだが。教師は授業で学力を保証する。少なくとも、そういった気概で取り組んでいる教師は、宿題なんて出さない。
posted at 15:12:27

私は、小学校教師だったとき、宿題というものをほとんど出したことがない。出したのは、他のクラスも出すから「バランスをとるために」出さざるを得ないときだけ(たとえば夏)。それでも、できるだけ量を減らすように学年主任に頼んだ。
posted at 15:15:17

もちろん、塾をやっている今も、一切の宿題を出さない。HPに明記している。「宿題は一切出しません。保護者が宿題を求める場合、入塾をお断りします」と。
posted at 15:16:45

宿題を教師に求めてくる親って、たくさんいるけど。自らの無力をそこまであからさまにしなくても、と思う。家庭学習は親が面倒みるもの。家庭の内側にまで学校や塾の教師に「足を踏み入れ」させたいのか。
posted at 15:20:42

多くの塾が大量の宿題を子どもに課しているようだが、首をかしげる。かしげすぎて首が痛い。塾なんてそもそも限界ある存在。週に数回、数時間の指導しかできないのだから。塾の教師は、そこを再認識すべき。そこを考えず「すべてをカバー」しようとするから、宿題が必要になる。塾は所詮塾でしかない。
posted at 15:24:52

ただ、現状では、学校と塾で指導内容に違いがありすぎる。言いかえれば、塾が「第2の学校」になっているということ。塾が塾の理想とする指導を成し遂げるには、本当は「第1の学校」の時間のすべてがほしいくらい。でも、塾には「時間」がない。だから、「家庭の時間」を奪い取ることになってしまう。
posted at 15:31:02

ある程度は親が見てあげないと、ですね。RT @-----: @FukushimaKokugo よかった!そういう考えの先生もおられるんですね。僕は教科書片手にできるだけ子供の勉強を見るようにしているのですが、まわりから異端視されてます。。。
posted at 15:33:43

家庭でわが子のノートや教科書、問題集を見たこともない親に限って、教師に宿題を求めてくる。親は口を揃えてこう言う。「先生の強制力で何とかしてください」「私が言うとケンカになっちゃうんです」。それを泣きながら訴えるのならいいが、笑いながらだからね。大半が。タチが悪い。投げ捨ててる。
posted at 15:36:41

それにしてもTwitterっていいよね。話があちこち飛んでも、何とも思われないから。気楽だな。
posted at 15:37:12

「夏休みくらい子どもの好きにさせてやれよ!」というのが私の主張。読み書きの宿題も自由研究も読書感想文も要らない。「勉強していない子ども」を見て不安になる親や教師に言いたい。「遊んでいない子ども」の姿にこそ不安を抱くべきでは?と。
posted at 15:41:34

そんな考えもあって、ふくしま国語塾では、今年から「8月」を完全休講化することにした。授業、一切なし。でも、それを子どもたちに説明するとき、「夏休みは、休むためのものでしょ?」と言ったら、きょとんとされた。子どもたちも、世間に染まってるね。
posted at 15:43:39

じゃあ塾をやめればいい。あるいは改革する。RT @----- @FukushimaKokugo 現役塾講師です。宿題の件はその通りだと思うけれども、実際に宿題を課さないと塾の方針に背くことになります。これが一番の理由です。他にもあるのですが、長くなりそうなので書けません^^;
posted at 15:46:26

まだ続けようと思ったが、ずっとPC前にいて疲れてきたので、あとはこちらをぜひ。【 http://ow.ly/5TPgJ 「小学校教育が危ない!」ログ:No.7 宿題は、出すべきか? 出さざるべきか?】
posted at 15:58:48



【11/07/29】

フィンランド式やらPISA型読解力やら、思考力・表現力重視のテストがもてはやされているにも関わらず、中学入試・高校入試・大学入試いずれをとっても、くだらない長文読解問題オンパレード。なんとかしなければならない。PISA型にも大いに問題があるが、長文読解よりはずっとましだからね。
posted at 19:31:49

くだらない長文読解問題で点数が取れず総合得点が低くなったというだけで「国語力」が「ない」というレッテルを貼られてしまう子ども達を、救わなければならない。そして、長文読解問題で高得点を取ったというだけで「国語力」が「ある」と思われてしまう子ども達をも、救わなければならない。
posted at 19:34:42

みんなもっと、問題を、出題者を、大手塾を、学校を、疑ったほうがいい。
posted at 19:41:57

「長文読解テストで満点」=「国語力完璧」みたいに思っている人があまりに多い。読解模試で全国トップレベルの点数を取れる子でも作文がからっきし書けない子というのがかなりいることを、彼らは知らない。センター試験で満点を取れても小論文が小学3年生レベルである高校生の存在もまた、知らない。
posted at 00:12:13

(承前)論理的思考力が高くまともに文脈を読むことができる子ほどミスしてしまう悪問がザラにあるという事実を、彼らは知らない。形式的な「慣れ」と「勘」だけで点数を稼いでいるテクニック少年、テクニック少女がいることを、彼らは知らない。
posted at 00:16:20

(承前)どんなに名の知れた私立小中学校でも、どこぞのバイト君が作ったような低俗な読解問題集のコピーを張り合わせて期末試験の代わりにしていることが多々あるということを、彼らは知らない。有名私立小の教師が、自分で問題を解きもせずその付属解答だけを頼りに採点していることもまた知らない。
posted at 00:24:37

(承前)どんなに有名な大手進学塾のテストでも、「模試の問題を作るのは今回が初めてなんです、どういう結果が出るか不安です、ドキドキしています」「いや、失敗も経験だからな」「はい、先輩」などというやりとりの中で作成された問題である可能性があるということを、彼らは想像しようとしない。
posted at 00:29:31

承前)「それ」とは何か、といった指示語問題の9割が、「それ」の意味を端的につかみづらいほどに乱れた悪文だからこそ成立するものであるという常識に、彼らは気づかない。「悪文を読み解く力」よりもまず「整理された文章を書く力」を身につけさせることが先決であるということにもまた気づかない。
posted at 00:41:42

つかれた。Ustでやろうと思ったんだが、機材を塾に置いてきてしまったのでできない。またいずれやろう。いや、ゼッタイやらねばな。世の親たち、教師たちの眼を開かせないと。痛めつけられるのは子どもだからね。セミナーも開かなきゃな。ほんとに思う。
posted at 00:47:32




【11/07/25】

「ふくしま式・読書感想文の書き方」、もうご覧いただきましたか? 国語力=論理的思考力を高める「感想文」の書き方とは――。【『頭のいい子の育て方』 618日発売号/学研パブリッシング】にて、特集されています。巻頭付録のワークシート必見です。
posted at 00:31:42

 

読書感想文を「だらだら続くあらすじ作文」に終わらせないようにするには、まず主人公の「変化」を読み取ることです。心情や人物関係の変化を。そして、その変化を自分自身の体験に重ね合わせる――これが、感想文の極意です。
posted at 00:36:44

 

ただ、私はもともと、読書感想文というもの自体に否定的です。以前から書いていますが。
posted at 00:49:51

 

いつもツイートは常体(だ・である)なんですが、ときどき気がつくと敬体(です・ます)になるんです… ふつうに戻そう。
posted at 00:52:56

 

読書感想文をひとつの「課題」として出すならば、事前指導と事後評価が不可欠だ。評価はある程度行われているが、指導は皆無に近い。夏休み前の7月、教室で感想文の書き方をしっかり教えたという教師がどれだけいるだろうか。指導はないのに、評価が待っている。これじゃ、戸惑いと苦痛しか残らない。
posted at 00:55:10

 

感想って、すべてが「自分」にのしかかって来ますからね。「他者」の言葉に根拠を置いて何かを語ることが許されないように感じてしまう。RT @-----: @FukushimaKokugo 本は好きだし現国の勉強も好きでたが、読書感想文は苦しい思いでしかないですね…
posted at 01:08:23

 

だいたい、「感」も「想」もファジー過ぎるんだよね…。「言葉」という形ある存在にそぐわない。「感動しました」と書くと、とたんに、ウソっぽく思えてしまうし。
posted at 01:21:41

 

それでも感動を言葉で伝えるためには、感情そのものを表す言葉(楽しい、不思議、感動、等)を意図的に隠し、感動を呼んだきっかけ(主人公の「変化」を始めとする事実)に焦点を当てて淡々と説明すればいい。その「変化」等が共感を呼ぶものであれば、感想文の読み手にも自然に「感動」が伝わる。
posted at 01:29:01

 

感想文の書き方、と題された本が書店に並ぶ季節だが、どれをめくっても結局はその場しのぎの対症療法に見える。たとえ数枚の原稿用紙が埋まっても、それによって「次に文章を書く際に生かせる技術」を獲得できない限り、それは「書き方」の本とは言えない。
posted at 01:58:36




【11/07/14】

今の世の中、金さえ払えばほとんどのことはやってもらえる。それは同時に、金さえ払えば責任を放棄できるということ。少なくとも形式的には。教育もまた同じ。しかし、実質的な責任までは放棄できない。そこのところを、「わが子を塾に通わせている親」たちは、まず、よく認識しておくほうがいい。

posted at 16:31:59

いやーもうね、今日はなんだか、言いたいことだらけだね。ひさびさに連ツイでもしようかな。

posted at 21:50:42

さてひととおり仕事終わった。

posted at 22:30:06

受験生の親たちよ! なぜ、そこまで「総合点」に囚われるのか。なぜ、そこまで「平均点」や「偏差値」を絶対視するのか。数値を疑え。数値の裏にある内実を見よ。

posted at 22:39:03

全体(総合点)ばかりを評価せず、部分(何ができて何ができなかったのか)を評価すべきだ。100点中50点だったとしても、50点の取り方、50点の失い方は人それぞれだ。あるいは、漢字で20点落とすこともあれば、論説文読解で20点落とすこともある。なぜそこを見ないのか。

posted at 22:45:46

漢字で20点落としたのと、論説文読解で20点落としたのとでは、ワケが違う。対策も大きく変わってくる。論説文読解で落としたのならまだ分かるが、漢字で20点落としたのをみて、「わが子は国語力が低い」と断じてしまうのは、あまりに子どもが可哀想だ。

posted at 22:47:57

力を入れて取り組んでいるバスケの大会でわが子が負けたとする。このとき、原因を探って冷静に解決策を考える親もいれば、原因を探りもせずとにかく負けたことを責める親もいる。前者は、原因がパスなのかドリブルなのかシュートなのかを探ろうとする。後者は、そういうことを一切しない。

posted at 22:53:07

原因は、パスでもドリブルでもシュートでもないかもしれない。相手チームの選手に転ばされたからかもしれないし、ボールに空気が入っていなかったからかもしれないし、ジャッジがいい加減だったからかもしれない。そこを想定してわが子に対峙する親とそうでない親とでは、子どもの伸びは激変する。

posted at 22:55:23

国語の試験で総合点が低かったのは、設問が曖昧だったからかもしれないし、選択肢のなかに正解が2つあり得たからかもしれないし、採点者が基準もなく感覚で採点したからかもしれない。そこを想定しないで、点数を、問題を、出題者を、塾を、絶対視し、盲信する。そして、わが子だけは信じない。

posted at 22:58:56

「設問の善し悪し」なんて素人には分からない――たいていの親はそのように言うだろう。その言い分も分かる。しかし、そうであるならば、総合点を見て一喜一憂してはいけない。原因を探る力が足りないのなら、結果をとやかく評定することなどおそれおおいと思わなければならない。

posted at 23:02:34

総合点を見てわが子を叱り飛ばすのなら、その前提として、「設問の良し悪し」を自ら解明しなければならない。「この問題はこういう問題だから、あなたにはできて当然。だってほら、ここで教わっているはずでしょ。だからできなければだめ。でもこの問題はミスもやむなし」などと言えなければならない。

posted at 23:05:33

「素人だから」というのは、分かるには分かるが、その大半は単なる努力不足。私は、塾の無料体験に来て嘆き節で語る親に、たいてい次のように問う。「ではお母さん、あなたはこの問題を、時間を計って全問やってみましたか?」と。95%の親は言う。「いや私には無理だから」。なら、子どもにも無理。

posted at 23:08:54

だって、ねえ。小学5年生の読解問題を、大の大人が「私には無理」だなんて。それでわが子の点数を見て叱り飛ばすなんて。子どもから見れば、矛盾以外の何者でもないでしょ。

posted at 23:10:11

私は、親が教師の代わりをしろと言っているのではない。親には、教師にはできない「親の役目」があるから。しかし、それならば、教師然として「150点中70点とは何事!」などと叱ったり嘆いたりしてはならない。しっかり、「親の役目」を果たすべき。

posted at 23:12:35

「この読解問題、難しそうだよねえ。よくがんばるねえ、ほんとに。これ、大人が読む新書からとった文章みたいだよ。この著者、文章が難しいよね。で、これを20分で読むの?すごいねえ、おまえは!笑」などと、子どもが言いたくても言えない部分を汲み取ってあげなくてはならない。それが親の役目だ。

posted at 23:16:06

再度書く。親は、総合点を見てわが子を断罪し叱り飛ばす前に、パスがいけなかったのか、ドリブルがいけなかったのか、シュートがいけなかったのかを探らなければならない。それができないのなら、断罪してはならない。できるのなら、少しでもいいから、パス練習につきあってあげればいい。それも役目。

posted at 23:18:11

もう1つある。それは、目標について。親というものは、150点満点のテストでわが子がたとえば70点を取ってくると、「80点も足りない!!」と嘆く。じゃあ、わが子が150点満点を取れると思っているのか?あり得ないことだ。彼らは、「わが子なりの目標」を数値化してみたことがないのである。

posted at 23:21:39

平均していつも70点前後をとっている子なら、次の目標は150点ではない。75点だ。なぜそういう視点を持てないのか。そういう視点を子どもに与えれば、子どもは救われる。「そうか、あと5点か。じゃあ、この漢字ができればよかったんだな。よし、漢字がんばってみよう」と思えるだろう。

posted at 23:25:29

「平均点を超えれば満足」という親が多い。愚かなことだ。たしかに1つの目安にはなるかもしれない。しかし、本当に大切なのは、「平均を超えることで世間体を守り安心感を得ること」ではない。「わが子がわが子なりの目標を乗り越えたときに得る達成感を共に味わうこと」だろう。

posted at 23:33:33

だから、大げさに言えば、偏差値70近い子の親でも日々焦りながらわが子を叱り飛ばしている親もいれば、偏差値40以下でもわが子の少しずつの成長を見守り明るく過ごしている親もいる。どちらが子どもを最終的に伸ばすことになるのか。明白だ。

posted at 23:35:31

さて、もう1時間経過した。そろそろ終わりにしよう。皆様おつきあい感謝。リプライは帰宅後に。しばし離脱。

posted at 23:36:01

帰宅なう。続きを少し。

posted at 00:24:01

親も教師も、基本的に「諦観」から入った方がいい。中学受験をさせようとする親は、過度な期待を抱きすぎる傾向がある。「わが子に大手塾の模試を受けさせたら150点中50点、偏差値40以下で愕然とした」などと言う親は、わが子をどれだけの存在だと思っていたのだろうか。そしてその根拠は。

posted at 00:30:27

私は過去に腐るほど書いてきたが、国語の読解問題というのは難解過ぎる。文章も設問も難しすぎる。あなたは、内田樹の文章を小6の子が20分で読み解けると思うか。内田氏などはまだ平易な方かもしれない。もっとハードなものが多々ある。物語は物語で文章が長い。しかも話が切り取られている。

posted at 00:36:06

そんな無理難題を小学生に与え続けるような過酷な中学受験の世界で、わが子が150点中50点だったことを、なぜ嘆くのか。いや30点でも同じ。それはむしろプラスに評価すべきことなのではないか。よく50点も、30点も取ったね、と。それが常識的な判断というものだ。ではなぜ非常識になるのか?

posted at 00:38:44

それは、相対的に見て、50点よりも高い点数を取っている子がいるからだ。親たちは口を揃えてこう言う。「でも、先生。たしかに難しい問題ですが、それを解くことができている子が、これだけいるんですよ?」と。おかしな論理だ。

posted at 00:41:00

「わが子は5年生だ。5年生全体の模試の結果によると、わが子よりできる子が全国に2000人もいるらしい。だから、わが子もがんばればもっと上に行けるはずだ」。なぜ、そう思ってしまうのか。わが子を、「わが子」ではなく「5年生の子」としか見ていないから、そうなるのだ。

posted at 00:45:08

「わが子はわが子。自分の子なんだから、この程度でも仕方ないか…」。そんな諦観を持てない親が、大勢いる。そういう親を生むのは、煽り立てる教育産業だ。私もその一端にいることを思うと身につまされるが、しかし私は、次の言葉だけは、絶対に使わないようにしている。「子どもの可能性は無限大」。

posted at 00:48:12

子どもの可能性は無限大、がんばれば何でもできる、やればできるは魔法の合い言葉……全部ウソ。もっと現実を見ないと、子どもがかわいそうだ。逆に、諦観を持っていれば、「意外にできたね」「意外とがんばったじゃん」といった明るい前向きな評価を与えるチャンスが増える。こんなにいいことはない。

posted at 00:50:15

そもそも、教育の力なんて、きわめて小さいのだ。向山洋一氏はたしか、教育の力というのは子どもの能力に及ぼす種々の要因の7%程度に過ぎない、といったことを書いていたと思う。7という数値の根拠は知らないが、実感としては当たっている。

posted at 00:53:56

ただし、向山氏は続けて書いていた(と思う、原典は塾に置いてある)。しかしその7%が大切なのだ、それが大きな差を生む、と。…まあ、このくらいの感覚が、教師というものに共通するところだろう。教師だからこそ、教育の無力さを日々痛感している、ということだ。

posted at 00:56:11

「おまえは5年生なんだから、自分より上にいる2000人の5年生を越えるようにがんばれ」などと激励するのは、「北島康介やイチローは人間だ、あなたも同じ人間だ、だからがんばれば北島やイチローになれる」と言うくらいに馬鹿げた考え方だ。

posted at 01:00:00

それでも私は、日々戦っている。なんとかして、70点を75点にしてあげるために。できることがきっとあるはずだ、まだ足りない、と。そういう、胃がキリキリするような戦いが、教師の仕事。

posted at 01:02:50

書きながら豆腐たべた。うまかった。

posted at 01:03:24

 





【11/07/13】

国語の長文読解問題というのは、常に「総合問題」になっているのが現状。こんなものをどれだけ繰り返し与えても、子ども達に「個々の技能」が育つはずがない。しかし親達はそれを知らず、算数などと安易に比較し、「うちの子は算数のほうが得意、国語は苦手」と断ずる。

posted at 00:36:57

算数では、たとえば「面積」たとえば「公倍数・公約数」といった分野ごとに学習し、それをテストされる。しかし、国語では、そういった分類がない。説明文・物語文、あるいは読む・書くといった分類は、いずれも、算数における分類と方向性がまるで異なる。縦に切るか横に切るかといった違いがある。

posted at 00:40:08

算数の教科書のタイトルはこんな感じ。 小学6年(上) 1.倍数と約数 2.がい数の計算 3.分数のたし算とひき算 4.平均 5.単位量あたりの大きさ 6.分数のかけ算とわり算(2) 7.分数のかけ算とわり算(2) 8.およその面積 (東京書籍/注:23年版教科書ではありません)

posted at 01:22:38

それに対して、国語はこんな感じ。 小学六年(上) 一 本に親しみ、自分と対話しよう 二 文章を読んで、自分の考えをもとう 三 相手や目的に合わせて書こう 四 読書の世界を深めよう 五 共に考えるために伝えよう (光村図書/注:23年版のものではありません)

posted at 01:24:05

算数が技能に焦点を当てているのに対し、国語がいかに曖昧でぼやけていてファジーでめちゃくちゃか、お分かりでしょう。終始、総合力しか問うていないのです。国語ってのは。だから伸びない。( http://ow.ly/5DDXK http://ow.ly/5DDYa

posted at 01:27:01

「共に考えるために伝えよう」って、何を学ぶのか、何を教えるのか、子どもにも教師にも、意味不明でしょう。ひどいよねほんと。

posted at 01:30:05




【11/06/07】

河合塾全統模試の評論、終了。&、SAPIX実力診断サピックスオープンの物語、終了。読解問題を解くたびに確信するが、カギとなるのは「くらべる力」。対比関係整理能力。これは、私が主張する「3つの力」のなかでも、一番身につけやすい「武器」である。

posted at 15:08:32

(承前)多くの評論は、「ABへと変わってきた」あるいは「ABへと変えていくべき」といったテーマであり、物語は、「心情や考え方あるいは人物関係が、AからBへと変わっっていった(Cをきっかけとして)」といったテーマである。要するに対比関係を整理させるのが読解。

posted at 15:16:15

それにしても何にしても、読解問題ってのは、量が多すぎる。文章も、設問も。百歩譲って、文章は長くてもいい。その代わり、対比関係を整理させるという本質的な設問だけに絞ってもらいたい。なぜ、些末な問題を混ぜるのか。できない子にも点数を取らせるため、ということなんだろうが、余計なお世話。

posted at 15:18:29

(承前)身につけさせたい技術(対比なら対比)に絞って問題を作らないから、テストというテストがどれも無駄なものに終わる。テストとは、自分の力を試し、何が出来て何が出来ないのかを知り、不足する部分を次なる目標にしていくための足がかりである。しかし、現状では、その役目を果たせていない。

posted at 15:21:42

(承前)河合でもサピでもどこでも、大手塾のテストというのは、最上位から最下位の子までの力を一斉に測ろうとする。だから設問にバリエーションが出過ぎる。平易な設問から難解な設問まで幅を取ろうとする。それが、「次なる目標を見定める」ことの足かせとなってしまう。「どれやりゃいいの」状態。

posted at 15:25:02

承前)もっと、「どんな技能が自分に足りないのか」「どんな技能の練習を積めばよいのか」が(子ども自身に)つかめるような問題にしていかなければならない。あまりに不透明、あまり複雑。もっとシンプルにしてほしい。今大手塾が与えているような読解問題は、「技能」が隠され過ぎている。

posted at 15:30:25

読解問題を解くたびに、いつもこうした同じ思いに駆られ、苛立ち、不愉快になる。ただし、それが闘志になり、自分の問題集を作り上げる動機にもなっていくから、まあ、よしとしよう。

posted at 15:31:47

文章全体を読む(=整理する)力と、文章の細部を読む力。どちらが大切かと言えば、当然、全体である。この文章は要するにどういうことを言おうとしているのか。これをまず問うべき。

posted at 15:42:09

(承前)たしかに、「読めない細部」が積もり出すと「全体」も読めなくなる可能性は残る。しかし、だからといって、細部の設問を8つと、全体の設問を2つというような問題構成はどうか。さっき解いたサピの問題でも、細部を問う問題の半数はくだらない設問。「全体を支える細部」をこそ扱えばよい。

posted at 15:43:44

(承前)要するに、もっと精選すべきということだ。点数に差をつけ、偏差値をキレイな山型にしたいがために、全体を支えない無駄な細部を問う設問を入れるのはナンセンス。いわゆる難関校の試験というのは、実はそういうナンセンス問題が少ない。大手塾の問題は、乖離している。

posted at 15:48:03


【11/06/04】

これ http://ow.ly/59X2m に対するリプライに、「なぜタイヤの数じゃだめなのか」「なんのためにそんな練習が必要なのか」などといった言葉が散見。「そんな子がいたら怖すぎる」などという言葉も。呆れてものが言えない。どこまでも下流志向だな。内田樹じゃないが、ほんと驚く。

posted at 14:00:31

「子どもは子どもらしく」という思いはよく分かる。私も、芦田愛菜やら加藤清史郎やらを見ているとちょっと苦笑したくなる。しかし、そういう「成長」と、本を読み勉強に励み知識と思考力を鍛錬している子の成長とは、決定的に違いがある。

posted at 14:07:26

(承前) 前者はベクトルが外(他者・社会)にある。後者はベクトルが内(自己)にある。自己の経験や記憶と向き合うからこそ、「三輪車ってそういえば遊具だったよね」と気づける。自己の内側で沈思黙考できる子を、「おとなびすぎている」と批判するのは、単なるひがみ、単なる下流志向である。

posted at 14:10:00

(承前) 学校や一部の親は、とかく、子どものベクトルを外に向けさせたがる。たしかに、円滑な人間関係を築く力は必要だ。しかし、そこに目が向くあまり、自己との対話、自己の内面へのベクトルを失わせてはならない。「みんな仲良く、豊かな関わりを持とう」といったスローガン先行は、至極危険だ。

posted at 14:12:19

(承前) まずは心が大切、やさしい子ならいい、大切なのはとにかく人間関係。まあ一理ある。しかし、だからといって、より高いレベルの知識や思考力を鍛える必要がない、つまりは勉強は二の次でいい、というのは、明らかにおかしい。そういって育てられてきたであろう子に私は限りなく出会ってきた。

posted at 14:15:53

もうひとつ。「物語文・小説を読解に出す中高大の教師達」の思想・発想を私が常々批判しているのは、それが外側へのベクトルを試しているものだからだ。人間心理を(言葉によらずに)読み取れる直観力、あるいは大人力を使って選択肢を見切る力、そういう力を問う試験を出しているからだ。念のため。

posted at 14:22:13

(11/06/05)↓

まあ、とにかく今日は、ツイッター上にいかに多くの「下流志向」な人々が存在するかを痛感した1日だったな。

posted at 00:08:09

無知になんらの不安も感じず、自分の知識と思考技術のレベルを最高と信じ、「オレ以外みんなバカ」と確信している人って、実際に、たくさん存在するんだね。いい勉強になったよ。

posted at 00:10:51

「子どもの思考力を鍛える」という表現の「鍛える」という言葉に対し、まるで害虫に対するときのように拒否反応を示す人間がこの世に一定数存在するということがよく分かった。なんといおうか、「無知信仰」「無思考礼賛」「無学崇拝」すべてが当てはまりそうだな。

posted at 00:15:41