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       No.32  2006/11/8  著者:福嶋隆史

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           No.32 こんなものは要らない!

      〜学校現場から無くすべきもの 20選(その3)〜
           その1 その2 その3 その4

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 「無くすべきもの 20選」は、次回(その4)で終了予定。

 目次……【13:算数の“問題解決学習”】
     【14:100人超で行う、ほんの数回だけの水泳指導】
     【15:ほとんどBばっかりの、通知表】
     【16:テーマが広く曖昧すぎて、はっきりしない研究】

 例によって、その項目について一層詳しく書かれているバックナンバーのタ
イトルを【参照ナンバー】として併記する。
 ただし、多くは非公開になっている。
 いずれすべてのバックナンバーを小冊子にするので、どうぞお待ちいただき
たい。

――――■こんなものは要らない!■――――――――――――――――――

【13:算数の“問題解決学習”】

 算数における“問題解決学習”は、最低最悪の授業法である。
 しかし、日本の多くの小学校で、この授業法が堂々とまかり通っている。
 その現状を詳しく書けば切りがない。
 今回は、その特徴だけを列記したい。

*******<「公式を発見せよ」という無理難題を与える >**************

 算数の“問題解決学習”を推進している教師は、基礎力定着に不可欠な「繰
り返し練習」を軽視し、「公式や原理を自ら発見させる」ことばかりに時間を
かける。
 数学者でもなんでもない子どもたちに、「公式や原理」を“自力で”発見さ
せようとするのだ。

 公式や原理なんて、教科書を開けばそこに太字で印刷してある。
 しかし、それらを「見るな」と指示する。
 やる気があって教科書を予習してきた子や、授業中に教科書を開いている子
を、叱り飛ばす教師すらいる。
 信じられないだろうが、事実である。

 先人が発見したそれらの公式や原理を「活用する能力」こそを育てるべきな
のに、それらの教師は「発見させる」という美辞麗句に酔い、子どもたちに無
理難題を要求する。

*******< 教科書の系統性を無視し、プリントに頼る >**************

 彼らは、子どもたちに教科書やノートをほとんど使わせない。
 自分で作った、あるいは市販本からコピーした、貧相な「プリント」ばかり
を使う。
 なぜ貧相だといえるのか?
 いくつかの理由があるが、たとえば、学習順序を無視しているからである。
 教科書というのは、綿密に考えられて順序良く作られている。
 子どもが効率よく段階的に学べるようになっている。
 しかし、多くのプリントは、その綿密さに欠けている。

 次の例が分かりやすい。
 2年生の掛け算九九は、教科書では次の順序で習うことになっている。
(東京書籍 2年下)

 5の段,2の段→ 3の段,4の段→ 6の段,7の段→ 8の段,9の段,1の段

 これは、それぞれに理由があるのだが、そういうことを無視して、1の段か
ら9の段まで次々と書かれているプリントを自作し、子どもに与えてしまう教
師が多いわけである。

*******< 教科書を使うとしても、例題だけで終わる >*************

 もし教科書を使うにしても、彼らは、たった1問の例題だけをあれこれとこ
ねくりまわし、それだけで1時間の授業を終わらせる(特に「研究授業」でこ
れをやる教師が多い。子どもが悩んでいる姿が美しい…のだとか)。
 教科書には習熟のための練習問題がたくさん載っているのに、授業ではそれ
らをほとんど扱わず、宿題にしてしまう。

 できない子には力が一切つかず、一層できなくなっていく授業。
 できる子には極めて退屈で、あくびが出るほどつまらない授業。
 それが、算数の“問題解決学習”なのである。

 校長・教頭、あるいは教育委員会指導主事が率先して、この方法を推進して
いる自治体や学校も多い。
 手に負えない。
 こんな指導法がまかりとおっているうちは、子どもたちに基礎学力がつく日
は遠い。


――――■こんなものは要らない!■――――――――――――――――――

【14:100人超で行う、ほんの数回だけの水泳指導】

 小学校における水泳指導(プールの授業)は、6月下旬〜9月初旬までの短
期間、せいぜい10回ほどしか実施されない。夏休みの自由参加の指導を含め
ても、十数回止まりだ。
 もし天候が悪ければ、中止の回数も増える。

 1回の水泳授業は、時間割上は2時間(90分)だが、着替えだの説明だの
が長びき、結局泳いでいるのは50分程度である。
 その50分の間、100人超の子どもたち全員がいっぺんに泳いでいるわけ
ではない。
 プールサイドで順番待ちをしている時間がかなり長い。
 だから、1人あたりせいぜい15〜20分しか、まともに泳いでいないの
だ。
 そんなことをいくら積み重ねても、泳法・技能が身につくはずがない。

 しかも、子どもの数に比して教師は少ない。
 100人の子どもがいても、プールに参加している教師は5〜6人。
 そのうち、水中での指導を担当するのが2〜3人。
 その中で、本当に指導力のある教師は、0〜1人。

 「私は水泳指導に自信があります」
 こう言える小学校教師は、いったいどれだけいるのだろうか。
 「日焼けしちゃうわ。いやだわ。水中に入りたくないわ」
 こんな教師ばかりなのが、実状である。

「うちの子は、学校の授業のおかげで泳げるようになりました」
 こんな感謝の声を聞いたことのある教師が、どれだけいるだろうか。
 子どもも親も、地域の水泳教室に週1回通わせなければ上達などしないとい
うことを、ちゃんとわかっている。いや、教師も、分かっている。
 要するに、みんな、割り切ってやっているわけだ。

 こんな水泳の授業など、いっそのことやめてしまえばいい。
 もっと国語や算数を増やすべきだ。

 それが極論だというのなら、選択制にしてもよかろう。
 球技、陸上、器械……やるべき体育授業は、たくさんあるのだ。

 4年生以上は、水泳とその他とを、選択できるようにしたらどうだろう。

            【参照ナンバー:第10号 〜水泳指導の限界〜】

――――■こんなものは要らない!■――――――――――――――――――

【15:ほとんどBばっかりの、通知表】

 通知表については、書くとこれまた長くなる。
 ここでは、保護者の一般的な声をご紹介する。

「いつもBばかりで、励みにも何にもならない」
「よいことばかりを書いているが、嘘っぽい。もっと事実を明記してほしい」
「年に2〜3回もらうだけだし、あまり気にしてない」

 私は、通知表なんていらないと思っている。
 それよりも、日ごろのテストの結果とか、授業中の即時評定の結果などを、
細かく具体的に教えてもらった方が、保護者としても嬉しいはずだ。

 紙に書いて渡せ、と言っているのではない。
 個人面談で伝えればいいのだ。
 私は、いつもそうしていた。

 ……この授業の、この学習の中で、Aの評定を与えました。○○さんは、こ
   れこれこういう力を身につけました。立派ですね。
 ……この授業の、この場面では、○○くんは、悩んでいました。こういうと
   ころが、苦手なんだと思います。ですから、これこれこういった勉強方
   法を、取り入れてみてください。

 こういう話を細かにすることが大切なのであって、年に2〜3回しか出さな
い3段階評価なんて、ほとんど意味をなさないのである。

 一方で、通知表をつけるための教師の時間的負担は極めて大きい。
 その時間を、少しでも授業準備のために使うべきである。


――――■こんなものは要らない!■――――――――――――――――――

【16:テーマが広く曖昧すぎて、はっきりしない研究】

「子どもに豊かな関わり合いの力を育むための研究」

 要するに、コミュニケーション能力を育てたい、ってことだろうけれど。
 こんなテーマで、どんな成果が望めるのか?
 教師たちよ、本当に、やる気あんのか?
 私はいつも、そう思う。
(私は無論、研究会の場で「テーマが広く曖昧すぎる」と苦言を呈したが、
 「曖昧なほうがいいのよ」などと言われ、受け入れられなかった)

 私なら、こうする。
「作文力(書く力)を向上させるために最低限必要な言語技術の、具体的指導
 方法の研究」

 作文力(書く力)は、コミュニケーション力(話す力)の前提となる。
 子どもに“豊かに関わり合わせたい”のなら、まず書く力を身につけさせな
ければならない。

 このようにテーマを絞り込むからこそ、研究に具体的成果が生まれ、それを
子どもたちにフィードバックしていくことができるのである。

     【参照ナンバー:第2〜3号 小学校における研修・研究の実態】
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<追 記>

 最近、テレビでは「いじめ」についての報道が連続している。
 このメルマガで緊急特集してもよいのだが、今のところ、ひかえている。

 いじめ問題というのは、そもそも、今に始まったことではないからだ。
 ずっとずっと以前から、「いじめ自殺」は繰り返されてきた。
 問題は根深い。
 テレビに乗せられるかのようにこれを特集するのは、なにか軽薄な感じがす
る。
 だから、今のところ取り上げないことにしている。

 テレビが騒がなくなって、皆がこの問題について忘れ始めた頃、あえて書く
かもしれない。