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         》》》 小学校教育が危ない! 《《《

        No.71(最終号)  2007/10/31

     著者:福嶋隆史 [ふくしま国語塾 主宰 (元小学校教師)]

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       No.71 総 括――要するに、何が問題なのか?

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 はじめに、告知です。
 67号本文、およびメルマガ個別ページの紹介文で、8月14日から予告し
てまいりましたとおり、このメルマガは今号で発行を終了します。


━━━━━▼━━67号より抜粋(ここから)━━▼━━━━━

 06年4月5日に第1号を発行してから、もう16ヶ月。
 私にとっては、一番思い入れの強いメルマガでした。
 今でもそうです。【危ない】を書くときには、いつも姿勢がピンと伸びてい
る自分に気づきます。

 そもそも、それまでは存在すら知らなかった「メルマガ」というものを書こ
うと思い立ったのは、あの不甲斐ない小学校教育現場の腐敗ぶりを批正し、そ
の主張をなんとかして世に出したかったからです。

 しかし今や、その目的の多くは、達成されました。
 70号近くに及ぶメルマガを通して、私の主張の9割以上を、書き尽くすこ
とができた感があります。

 しかも、私は今、現役の小学校教師ではありません。
 現場を離れて、まもなく1年半になります。
 過去を振り返り、過去の事実を元にして批判する活動よりも、もっと前向き
に、新しい何かを創造していく活動をこそ、すべきではないか――そう思った
のです。

 いやもちろん、このメルマガで書いてきたことは“過去”といってもきわめ
て“現在”に近い事実ですし、私が続けてきたのはあくまでも「建設的批判」
でした。だからこそ、550人もの読者の方々に共感していただくことができ
たのです。

 でも、少なくとも【小学校教育が危ない!】に関しては、やはり書き尽くし
た感がありましたので、今回の決断に至りました。

━━━━━▲━━67号より抜粋(ここまで)━━▲━━━━━


 これまで長い間読み続けてきてくださった皆様。
 共感と賛同のメールをくださり、励ましてくださった皆様。
 つい最近読者登録してくださった皆様。

 どの方にも、感謝の気持ちでいっぱいです。
 ありがとうございました。


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◆総 括――要するに、何が問題なのか?


 これまで私が書いてきたことを総括し、振り返ってみる。
 そこに浮かび上がるのは、このひとことだ。

【小学校教育においてもっとも問題なのは、教師の質の低さである。】

 質とは何か。
 それは、「技術」と「志」だ。

 すべてのプロは、技術を身につけている。
 具体例を挙げるまでもない。
 すべての職業だ。
 職業と呼べることは、どんな種類のことであれ、技術を要するのだ。

 プロというのは、金をもらって仕事をする人々のことだ。
 何に対して金をもらっているのか。
 技術に対してだ。
 技術があるからこそ、対価としての金銭が生まれる。

 しかし、多くの小学校教師は、技術が低い。
 前にも書いたが、「指導力不足教員」というお墨付きをもらう少数の教師の
すぐ上には、「準・指導力不足教員」「準準・指導力不足教員」が、ごまんと
いる。

 私の感覚では、本当に技術の高い教師は1つの学校に1割程度しかいない。
 20人いたら2~3人。
(ベテランとか、初任者とか、そういうことは関係ない)

 あとは、基本的に勉強不足。
 あるいは最初から資質がない。


 しかし、だからといって――

 下手な研修や研究をいくら増やしてもダメ。

 退職教員や、地域のボランティアを募ってもダメ。
 TT(ティームティーチング)や少人数指導を導入してもダメ。
 教員採用者数を増やしてもダメ。

 授業時間数を増やしたってダメ。
 総合学習を減らしてもダメ。
 1学級の人数を減らしてもダメ。

 そんなふうに「数」で操作しようとしても、教師の「技術」が低い以上、何
も変わらないのだ。

 では、教師にとっての「技術」とは何か。

 その具体的内容については、これまでの70号に及ぶメルマガの中に、きわ
めて詳細につづってきたので、ここでは省略する。


* * * * * * * * * * * *

 「質」のもうひとつの要素である「志」については、これまであまり書いて
こなかった気がするので、ひとこと書いておく。

 教師の仕事には、上限がない。
 これで終わり、という到達点がない。

 おおざっぱにいえば、次のようなことになる。

 同じ「師」のつく仕事で考えよう。
 医師の仕事は、マイナスをゼロに戻す仕事である。
 病気や怪我というマイナス状態を治し、回復させ、健康なゼロ状態に戻す。
 ゼロこそが、医師の到達点である。
 医師にとって、到達点はちゃんとある。

 それにくらべ、教師の仕事は、ゼロをプラスに伸ばしていく仕事である。
 子ども(人間)には無限の可能性があるから、どこまででもプラスは続く。
 すなわち、教師の仕事には、到達点がないのだ。

 これは、よく言えば、どこまでも高めていける仕事であるということだ。
 しかし、悪く言えば、ほんのちょっとのプラスで満足できてしまう仕事だと
いうことだ。
 子どもに対して、1の教育しかできない教師も、10の教育ができる教師
も、プラスの成果を上げていることに変わりはない。
 だから、ともすれば、1で満足してしまうわけだ。
(あるいは、0(ゼロ)のままでも、その変化のなさが外部から見えにくいた
め、ごまかすことができてしまう)

 しかし、0や1でいいはずがない。

 多忙にかまけて1で満足せず、多くの本を読み、休日にも教師向けセミナー
に積極的に参加するなどして、絶え間なく10を目指す教師こそ、高い「志」
を持った教師だと言えるだろう。

 今、0のままではいけないのか、と思った方もいるかもしれない。
 人間、健康に生きているだけで幸せなのではないか、と。

 たしかに、私もそう思う。
 しかし、それは論点がずれている。
 あくまでも、学校教育について論じているのだから、その論はおかしい。

 学校教育は、あくまでも積極教育の場である。
 だからこそ、教師というプロが必要とされている。
 その役割を果たすには、高い「技術」と「志」とが、不可欠なのである。


(念のために書いておくが、医師の仕事は有限で容易だと言っているのでは、
 決してない。むしろ、マイナス1をゼロにするという仕事は、教師がゼロを
 1に上げることの10倍、いや100倍以上困難なことであると思う)
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 では、みなさま!!

 これで本当に最後です。
 本当に、本当に、ありがとうございました。
 いつの日か、本屋の棚の上で貴殿にお目にかかれる日を夢見つつ……

 さようなら!


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