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》》》 小学校教育が危ない! 《《《
No.68 2007/9/5
著者:福嶋隆史 [ふくしま国語塾 主宰
(元小学校教師)]
著者HP http://www16.ocn.ne.jp/~wildcard/
このメルマガは、10月末で発行終了予定です。
発行終了に関するメッセージは、67号に記載しています。
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No.68 誰が長縄を回すのか? 〜いただいたメールへの回答(1)〜
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前号でメール(リクエスト)を募集しました。
今回は、いただいたメールから1つをピックアップし、お答えします。
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◆誰が長縄を回すのか?◆
「新米・初任者教師です。
先日、体育の授業で、長縄をやりました。
私が縄の一端を持って回していたのですが、授業後、職員室で、初任研指導
を受けている先生にこう言われました。
『子どもに回させなさい。教師が回すと、子どもの自主性を奪います』
でも、福嶋先生のメルマガで読んだ“自主性信仰”という言葉も心にひっか
かっていて、どうしたらいいか、ちょっと迷っているんです。
たかが長縄なのですが……
どう考えればよいのでしょう?
子どものためになる方法を選びたい、と思っているのですが…」
「子どものための最善」を真摯に考えようとする態度、すばらしいですね。
ただ、まずは、ご自分のことを「新米」なんて書くのはやめましょう。
謙虚な態度の表明なのでしょうが、いいことではありません。
教師というものは、子どもからすれば、新米でもベテランでも同じ「教師」
なのですから。
たとえ教師同士であっても、「新米です」なんて言っていては、そういう気
構えの弱さが、子どもの前でもポロッと出てしまうものです。
もっと堂々としていたほうがよいのです。
さて、長縄の件ですが、当然、教師が回すべきです。
少なくとも、体育の授業では。
休み時間など、有志で行う長縄遊びでは、子どもが自主的に回せばよいでし
ょう。
しかし、「授業」には、目的があります。
「子どもたちに、縄を跳ぶ技能を身につけさせる」という最大の目的が。
この目的は、教師が回さなければ達成されません。
教師は、縄を回す速さを調節できます。
縄を回す大きさ(高低、幅)も、調節できます。
列を作って「8の字跳び」などをやっているとき、跳ぶのが苦手な子の番が
きたら、すかさず、スピードを緩めることができるのです。
また、得意な子のときには、速く回すこともできます。
これこそ「個に応じた指導」であり、「子どもの能力に応じた教育」です。
教育基本法に定められている文言どおりです。
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「自主性信仰教師」は、これを子どもにやらせます。
すると、どうなるのでしょうか。
必ず、いじめが起こります。
少なくとも、間違いなく、いじめの芽が生まれます。
しかも、大量に。摘み取れないほどに。
跳ぶのが決定的に苦手な子は、クラスに1〜2人、必ず居ます。
(クラス編成というのは、学力や運動能力、性格などすべてが均等になるよう
慎重に行われていますから、当然そうなるのです)
決定的に苦手な子を、仮にAさんとしましょう。
もちろん、子どもたちは、Aさんを最初から
はじき出したりはしません。
しかし本当は、連続で跳ぶ回数のクラス記録を伸ばしたいので、「Aさんが
いなければいいのに」とみんなが思っています。多かれ少なかれ、みんな、思
っています。
どんなに心やさしい子でも、そう感じています。
長縄で跳べない子の存在は、他の子にとって、そのくらい重いのです。
しかし、Aさんは、どうしても縄に引っかかります。
でも挑戦意欲はあるので、自分から見学を希望したりは、しません。
そんなAさんの姿に、イライラを抑えられない子が出てきます。
でも、授業中ですから、さすがにその場で、「おまえ、やめちまえ、外に出
てろ」なんて言えません。
そこで、またイライラが増します。
その子は、そのイライラを、「いじめ」という悪質な行為によって解消しよ
うと考えるのです。
もともとは、「長縄記録を伸ばしたい」という純粋な動機だったはずなの
に、いつのまにか、「Aをいじめてイライラを解消したい」という動機に入れ
変わってしまったわけです。
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教師が回していれば、どうだったでしょう。
教師が回していれば、Aさんは、10回に2〜3回は跳べたでしょう。
そのときこそ、クラスが生まれ変わるチャンスなのです。
その場で、教師はすかさず言います。
「おおお、すばらしい! Aさん、跳べたじゃないか! 拍手!!」
ほとんどの子は、根はやさしいですから、ここで素直に拍手をします。
Aさんが跳べた。Aさんが喜んでいる。先生が喜んでいる。クラス全体が喜
んでいる。――この「空気」が、「いじめっ子」の魂をも、浄化してしまいま
す。
いじめっ子は、「何言ってんだよ、先生が大きくゆっくり回したんだから、
跳べて当たり前じゃねえか。ばかばかしい」と思っているかもしれません。
しかし、この「空気」の圧倒的な力には、かなわないのです。
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学校における人権教育は、「空気」で行うのです。
それは言い換えれば、「集団の教育力」です。
集団の力は、巨大です。多勢に無勢。
それを悪質な方向に持っていけば、「いじめ」になります。
しかし、よい方向に持っていけば、これほど効果的な力はありません。
教師がどんなにがんばって「Aさんをいじめるのをやめなさい」「Aさんだ
ってがんばって跳ぼうとしてるんだから」などと言ったって、無駄です。
それは、所詮1人の力に過ぎません。
そんなことを言っていないで、黙って教師が縄を回せばよいのです。
そうすれば、いつのまにか、クラス全員が教師の味方になります。
いじめっ子の心に巣食った悪を、追い払うことができるのです。
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