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》》》 小学校教育が危ない! 《《《
No.63
2007/6/20 著者:福嶋隆史
著者HP http://www16.ocn.ne.jp/~wildcard/
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No.63 ちゃんとノートに書かせているのか?
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目次
◆はじめに……プリント(ワークシート)が、書くという日常作業を減らす!
【1】……算数 「かけ算の筆算」の授業
【2】……国語 説明文の授業
【3】……連絡帳も大事な勉強
◆おわりに……ノートの価値を見直そう
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◆はじめに……プリント(ワークシート)が、書くという日常作業を減らす!
ノートに書かせない教師が多い。
彼らは、プリントやカード(画用紙)に書かせる。
確かに、プリントやカードにすれば、早い。
いわゆる「ワークシート」にして、必要なことを予め全部印刷しておく。
子どもは、必要最低限のことを書き込めば済む。
時間が短縮できる。
限られた授業時間内に、決められたカリキュラムをこなしていくには、ある
程度、仕方のないことだ。
しかし、安易に「ワークシート化」する教師が多すぎるのではないか?
子どもたちの書く力が低下している一因が、実は、ここにある。
ノートを開かせず、プリントを配ってちょこっと書かせるだけのやり方。
これによって、「鉛筆を持って書く」という作業そのものが日常的に減って
いるのである。
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【1】……算数 「かけ算の筆算」の授業
教科書には、書き込むスペースが無い(例題等を除く)。
だから、たとえば筆算の練習問題が8問あれば、どれもノートに書く必要が
出てくる。
249×36 の問題ならば、
249
× 36
 ̄ ̄ ̄ ̄
このように問題をノートに写し、定規で線を引き、それから問題を解く。
これを、8問分全部書くことになる。
かなりの作業である。
そして、頭を使う。
「筆算と筆算の間(例:1問目と2問目の間の上下左右の隙間)をどのくらい
空ければ、見やすくなるか?」
「次のページに移るべきか? この下にもう1問書けるか?」
「文字は、どのくらいの大きさで書けばいいか?」
「位取りを間違えて写したとき、消すのが早いか、バツをつけて別途書き直す
のが早いか?」
……などなど、小さなことだが、大事な思考が働く。
ところが、問題解決型の算数授業を推進する教師は、このような問題の多く
を、プリント化する。
たしかに扱う問題量が少しは増えるから、一見、子どもに力をつけやすいよ
うにも思える。
しかし、「問題を写す」という、単純だが重要な「書く作業」を日常的にさ
せていないと、先述のような「基礎的な作業思考力」は養われない。
これは、全科目にも通じる重要な作業能力なのである。
一見無駄と思える「ノート作業」を粘り強く何度もやらせることが大事だ。
そうやって、「ノート感覚」を養うのだ。
私は、教科書の計算問題はすべてノートに書かせる。
プリントで代用したりしない。
授業中に、それくらいの時間は十分とれる。
(それくらいの時間がとれないのは、教師の説明が長いとか、「公式を自力
で発見せよ」式の思考時間ばかりを与えているとか、ほかに理由があるのだ)
ただし、計算ドリルの類では、あらかじめプリント(印刷)された筆算に書
き込んでいく作業があってよい。ドリルは、練習量をこなすためのものであ
るから。
しかしあくまでも、中心は教科書。
そして、ノートなのだ。
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【2】……国語 説明文の授業
私は、まず、ノートに日付を書かせる。
「国語ですから、縦書き・漢数字で書くんですよ」
「六月二○日」または「六月二十日」
そして、題名を書かせる。
「ありの行列」
さらに、今日の課題を書かせる。
「ウィルソンの観察と研究」
これらはすべて、私が板書しながら、子どもに写させる。
行の位置や、行間も、子どもがそっくりそのまま写せるように、明確に板書
する。
それでも、行を変えずに書く子がいたりする。
つまり、「六月二十日ありの行列ウィルソンの…」と、一行に続けて書いて
しまう。
その子には、まだ「ノート感覚」が養われていないのだ。
このように、かなり苦労する子も結構いる。
たったこれだけの作業でも、子どもの間に、相当な時間差ができる。
ある子は数十秒で終わる。ある子は、まだノートすら開いていない。
だから確かに、遅い子を待っていると、早い子がすぐ退屈してしまう。
しかし、だからといって、これもプリント化してしまってよいのか?
プリントならば、日付も、題名も、課題も、全部印刷しておける。
子どもは、配られたら名前を書くだけでいい。
確かに、早い。
だが、これでは、子どもに「書く作業」が生まれない。
研究授業だとか、学期末が近いとか、カリキュラム上かなり遅れていると
か、時間を優先すべき理由があるならば別だが、そうでもない限り、粘り強く
子どもに書かせるべきではないか。
*
* * * * * * * * * * * * *
ついでに書けば、「使ったプリントをノートに貼り付けさせておく」という
やり方は、たいてい徹底されないで終わる。1割の子は、プリントを「ぐ
ちゃ」っと机に押し込む。決して、ノートに貼ったりしない。
勉強の記録が残らないわけである。(もちろん、ちゃんと貼ったかどうか全
員分のノートをチェックするなら別だが、毎回そこまでやれないだろう)
ノートならば、このようなことは起こらない。
さらに書けば、社会科見学の際などにカードを配布し、「気づいたことをメ
モしなさい」と指示するやり方……これも一般的だ。
しかし、これも本来はノートがよい。
学年の方針で仕方なくカードにしたことも多かったが、何回かはノートを持
たせることができた。
カードは風で飛ぶし、ボード(首から提げる筆記台)からすぐ外れるし、不
便だ。
それに、書ける量が限られている。子どもによっては、「先生、書く場所な
くなっちゃった」と、新しいカードをもらいにくる。
ノートならば、いくらでも書ける。書きたいだけ書ける。
大事な配慮である。
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【3】……連絡帳も大事な勉強
連絡帳も、ノートの一種である。
教師は、毎日必ず書かせるはずだ。
明日の時間割、明日の持ち物、明日までの宿題、その他の予定など。
連絡帳を書くという作業も、大事な「国語」の勉強である。
特に、1〜3年生くらいまでは。
連絡帳の書き方は、ちゃんと国語の授業を使って指導すべきだ。
私はそうしていた。
授業で扱う以上、ちゃんと評価・評定もした。
「連絡帳に日付を書けた子は、見せに来なさい」
日付だけでも、書き方はバラバラ。驚くばかりの個性?である。
小さな字、雑な字、読めない字、改行せず前日のメモの下に書く、などは、
すべて却下。
「残念。書き直し」
こうやって、時間割、持ち物など、すべての項目をチェックする。
全員分チェックするけれども、所要時間はせいぜい10分だ。
すばらしい連絡帳には、ハンコを押してあげる。
ハンコも3段階。
「がんばったね」→「おみごと」→「パーフェクト」
そして、そのさらに上の子には、「スター」のハンコ。
子どもたちは、スターを目指して、黙々と連絡帳を書き、見せにくる。
みるみるうちに、子どもたちの連絡帳はキレイになる。
当然ながら、忘れ物も減る。
もちろん、毎回これをせよとは言わないし、私も2週間に一度くらいしか、
しなかった。
だが、するとしないとでは、大違いである。
このように、連絡帳ひとつとってみても、「書かせる」ことを教師が大事に
捉えているかどうかが、一目瞭然になるわけである。
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◆おわりに……ノートの価値を見直そう
あと1ヶ月もすれば、夏休み。
教師は、この4,5,6,7月を通して、子どもたちに、どれほど「書かせ
た」のであろうか。
年度当初にわざわざ買わせたノートに、実はまだ1〜2ページしか書かせて
いない、という科目があるのではないか?
保護者の方は、子どものノートを点検してみていただきたい。
教師は、反省していただきたい。
ノートの価値を見直し、たくさん書かせることが、大切だ。
このような日常的な作業の繰り返しで、子どもたちは「書くことへの抵抗
感」を、なくしていくのである。
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