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      No.62  2007/6/6  著者:福嶋隆史

      著者HP http://www16.ocn.ne.jp/~wildcard/

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      No.62 子どもによる自己評価に依存した評定をやめよ

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 子どもに「自己評価」をさせる教師が多い。

「今日の学習内容を、どの程度理解できたと思うか」
「今日は、掃除をどの程度がんばったか」
「1学期の間、どのくらい意欲的にやってきたと思うか」

 こういう項目について、「ABC」や「◎○△」などで、子ども自身に評価
させる。これが、自己評価だ。
 これをわざわざ専用の「カード」などに書かせ、回収して記録までしている
教師が、意外といる。
 まあ、そのマメな仕事振り自体は、よいことだが…

 私は、そのようなこと(自己評価させること)は、ほとんどしなかった。
 せいぜい、ときどきの授業の最後で挙手させる程度。
「今日、よくできたと思う人? うーん…あんまり、という人?」などと。
 もちろん、あまりできなかったという感想が多ければ、自分のやり方を反省
する動機にはなったけれども、それを記録するようなことは、しなかった。

 なぜやらなかったのか?
 それは、正直な話、あまり「あてにならない」からだ。
 自己評価は、あくまでも、子どもの「感覚」にゆだねられた判断なのだ。

 一部の教師は、いったい何を目的に、これを聞き出すのだろう?
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 真面目に記録している教師は、これらを「通知表」の記載のときに、活用す
るらしい。それが、ひとつの目的のようだ。
 通知表には、「関心・意欲・態度」の項目がある。
 「技能・知識」の習得に関する項目と同様、「関・意・態」と呼ばれるこの
項目にも、A〜Cの3段階で評定をつけなければならないことになっている。
(2年生以上、全教科)

 しかし、これを評定するのは、なかなか難しい。
 「○○さんが、どの程度の意欲をもって臨んでいたか」について、明確に自
信を持って数値評定できる教師は、なかなか居ない。
 「クラス全員、一人一人について」となれば、なおさらだ。

 そこで、「教師に分からないのなら、本人に聞いてみようじゃないか」とい
うわけだ。
 子ども本人が、「とてもやる気をもって臨んでいました」と言うのなら、そ
れを認めてAにしてあげよう。逆に、「不真面目でした」と言うのなら、Cで
かまわないだろう…
 自己評価を通知表に大きく反映させる教師には、そういう判断があるわけ
だ。

 だが、本当にそれでよいのだろうか?
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 結論から言って、自己評価を通知表に反映させるのは、よくないことだ。

 さきほども書いたように、子どもの自己評価は「感覚」に拠るところが大き
い。
 親や教師にいつも叱られている子は、感覚的に、自己評価が低い。
 逆に、いつも褒められている子は、感覚的に、自己評価が高い。

 その「感覚」を心理学的に言えば、超自我(スーパーエゴ)である。
 親や教師の倫理的価値観に影響されやすい年代ゆえ、親や教師に「きみはが
んばっているね」と言われれば「自分はがんばっているんだな」と思うし、
「がんばってないね」と言われれば「自分はダメなんだな」と思うのである。

 そんな「感覚」に過ぎないものを、通知表に反映させてよいわけがない。

 通知表をつける際には、あくまでも教師が子どもの日ごろの様子を見取り、
それをもとにして、子どもの「がんばり」を評定するべきである。

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 ところで、「自分はダメなんだ」と思っている子どもを、放っておいてよい
のか?
 よくない。

 そういう子の自己評価を高められるように手助けするのが、教師の役目だ。
「きみはきみなりにがんばっていて、少しずつ、出来るようになっているんだ
 よ、成長しているんだよ」ということを、伝えなければ。

 ……な〜んて言うと、誤解する人がいるから、一応書いておく。

 成績が悪い子に対しても、とにかく「それでいいんだよ」「笑顔でがんばっ
ていればいいんだよ」などと「あるがまま」をみとめてあげるのが大事なんだ
ね……などという誤解だ。
 そうじゃないだろう!
 「成績が低くてもいいんだよ」なんていうのは、子どもの自己評価を高める
ことにはつながらない。笑顔をみとめられるのはうれしくても、「成績が悪
い」という事実から子どもの心が開放されることはないのだから。


 子どもの自己評価を高めるには、やはり、教師による「数値評定」が不可欠
である。
 10点中2点なら、ちゃんと「2点」と告げるべきなのだ。
 2点、と言われたらヘコんじゃって、この子は自己評価の感覚を一層低くし
てしまうだろう、と考えるのは、「浅はか」というものである。

 「きみはダメだ」と告げる行為と、「きみは2点」と告げる行為とは、大き
く違う。
 「ダメだ」は全面否定だ。
 しかし、「2点」は、残り8点が不足していることを告げただけで、その子
の存在を否定しているわけではない。しかも、2点は取れたのだ、という肯定
が含まれる。

 そして、教師が「きみの目標は5点だよ」と告げることで、子どもは、「そ
うか、5点までがんばればいいんだな。あと3点分、がんばってみよう」と思
い、意欲が沸いてくる。

 このように、適確な数値評定は「成果の認定」であり「次の目標の明示」で
あるから、子どもを傷つけるどころか、むしろ子どもを勇気付けるものだと言
える。
 だから、「自分はダメだ」と思っている子にこそ、数値評定をし、目標を持
たせ、意欲が沸くように仕向けることだ。

 ただし、このような数値評定は、一定期間内に自分の指導によってそれを
「5点」まで上げられるという「確信」が教師にある場合にのみ、許される。

 「結局、どうがんばってもその子の能力が低く、5点まで上げてあげられる
見通しが立たない」のなら、その数値評定は残酷というものだ。(その場合
は、最初の目標自体をもっと低くして、再度の評定を行うようにすればいい)


 では、教師が、その「確信」を持つためには、どうすればいいのか。
 それは、教師自身が「教育技術」を高める以外にない。
 教師が、【「子どもに力をつける」ための力】を身につけるのだ。

「○○さん。安心しなさい。
 先生が、きみを、必ず目標までたどり着かせてあげるからね。
 安心して、ついて来なさい」

 そういう自信に満ちた教師と出会うことで、子どもの精神は安定し、希望を
持つようになり、最後には、自己評価の感覚を高めていけるようになるのであ
る。

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