福嶋隆史HP TOP

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━<隔週1回水曜日発行>━━

         》》》 小学校教育が危ない! 《《《

     No.59  2007/4/25  著者:福嶋隆史

      著者HP http://www16.ocn.ne.jp/~wildcard/

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

  No.59 まやかしの「体罰容認論」を排し、知性による教育を!

======================================================================
【 目 次 】
(1)「体罰容認論」を持ち上げるマスコミ、そして世論
(2)原典を調べると、意外な事実が見えてくる
(3)体罰に関する規定は、50年以上前から適正だった
(4)体罰容認論者への反論
(5)爆笑・太田が言ったプロの一言
(6)人を動かすには
----------------------------------------------------------------------
(1)「体罰容認論」を持ち上げるマスコミ、そして世論

 先日、テレビ番組「太田総理」で、「体罰容認論」が取り上げられていた。
 またか…と思った。
 マスコミも世間も、どうやら、体罰を認めたくて仕方がないらしい。
 その番組の最後に示された電話投票の結果は、圧倒的多数で「体罰容認」に
傾いていた。

 一方、政府の教育再生会議(平成19年1月)では、義家弘介氏が、「体罰に
関する古い“通達”が、教師の両手両足を縛っている。これを見直して、毅然
とした指導をしなければ」なんて言い出した。他の委員も、「軍隊上がりの教
員が多くいた時代の通達であり、現代にはそぐわない」と言っているらしい。

 加えて、文部科学省も、「体罰に関する考え方」を新たに発表した。(平成
19年2月5日)

 ……こうしたことが、世論形成に影響しているのだろう。

 こうしてみると、「体罰容認」が主流になってきているんだな、と、われわ
れは思ってしまいがちだ。
 しかし、実際のところは、どうなのだろうか。

 これまで教師が基準としてきた、昭和23年の「児童懲戒権の限界につい
て」などの記載内容は、本当に古くて通用しない“甘い”内容なのか? 本当
に、「教師の両手両足を縛っている」のか?
 そして、文部科学省は今回、本当に体罰容認に傾いたのか?

 いや、そんなはずはない。
 最近みられる体罰容認論は、安易な回帰的思想から体罰容認の方向を強める
べく、マスコミが作り上げようとしている「まやかし」に違いない。
 私は、そう考えている。

 ただ、こういう議論をするときは、感覚的な議論を避け、正確な文章を元に
考察しなければならない。
 ここで、文面を詳しくチェックしてみようと思う。

(今号は、「現場の事実を元に一刀両断」というコピーにそぐわないかもしれ
ないが、こういう内容を書くのは時々のことなので、ご容赦いただきたい)
----------------------------------------------------------------------
(2)原典を調べると、意外な事実が見えてくる

 まず、文部科学省が19年2月初旬に発表した内容に関する、読売新聞の記事
を読んでみよう。(著作権があるので、リンクのみ表示)

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
      〜 文科省、体罰でない例を明示 〜
  http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20070203ur02.htm
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 記事の要約には、こう書いてある。
「いじめや校内暴力などの問題に対応するため、文部科学省は、教師の体罰に
関する基準を全面的に見直した」とある。
 しかし、本当に全面的なのか?
 たいして変わっていないのではないか?

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 文部科学省がこの2月に打ち出したのは、次のような内容だ。
 これらは、本当に新しい内容なのか?
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
    問題行動を起こす児童生徒に対する指導について(通知)
                 18文科初第1019号 平成19年2月5日
                    文部科学省初等中等教育局長
 上記通知内
 「学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰に関する考え方」
 http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/07020609.htm#a01
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 これによると、「体罰にあたらない事例」として下記のような内容が示され
ている(一部を要約)。

(1)放課後も教室に残して指導すること。
(2)授業中、教室内に起立させること。
(3)学習課題や掃除当番をほかの児童生徒より多く課すこと。
(4)騒いでほかの児童生徒の邪魔をした場合などに、別室で指導するなどの
   措置をとった上で教室の外に出すこと。
(5)暴力を振るう児童生徒から、教師自身や他の児童生徒の身を守るために
   やむを得ない場合、力を行使して児童生徒を制止すること。この場合は
   肉体的苦痛を与えたとしても体罰とは言えない。正当防衛と判断する。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 これに対して、昭和23年から存在し、すべての教師が基準としてきた、
「児童懲戒権の限界について」を見ながら、比べてみよう。

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 「児童懲戒権の限界について」(法務庁法務調査意見 長官回答)
                      昭和23年12月22日
 http://www.cebc.jp/data/education/gov/jp/tsuuchi/1948taibatsu.htm
                Home→ http://cebc.jp/index2.php
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
<( )の数字は、先述の文科省通知と対比できるように福嶋がつけたもの>

(1)「放課後教室に残留させることは、前記1の定義からいって、通常「体
    罰」には該当しない」
(2)「児童を起立せしめることは…中略…懲戒権の範囲内の行為として、適
    法である」
(3)「懲戒として学校当番を多く割り当てることは、さしつかえない」
(4)「他の方法によって制止しえないときには、懲戒の意味においてではな
    く、教室の秩序を維持し、ほかの一般児童の学習上の妨害を排除する
    意味において、…中略…教師が当該児童を教室外に退去せしめること
    は許される」

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 こうして比較すると、ほとんどのことは、昭和23年から許容範囲とされて
いることであり、別にいまさら「全面的に見直しました」なんていうほどのこ
とではないわけだ。

 あえて言えば、今回の文部科学省の通知で新しくなったのは、(5)が加
わったくらいだ。しかし、これが体罰と言えないことは誰が見ても明らかであ
り、別段新しい「見直し」だとは言えない。

    ┏
    ┃「体罰」は、「懲戒」の手段(罰)である。
    ┃ 一方「制止」は、あくまでも自己と他者を防衛する手段である。
    ┃(この2つを混同すると議論が見えにくくなることが多いので、両
    ┃ 者の違いはいつも念頭に入れておくべきである)
    ┗

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 ただ、確かに、上記「児童懲戒権の限界について」の9ヶ月ほどあとに出さ
れた下記の「通達」では、多少、禁止が強調されているようにも見える。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
     生徒に対する体罰禁止に関する教師の心得(通達)
                  昭和24年8月2日法務庁発表
  http://f46.aaa.livedoor.jp/~withlove/bodily_punishment.html
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
「遅刻した生徒を教室に入れず授業を受けさせないことは、たとえ短時間でも
 義務教育では許されない」
「授業時間中怠けたり騒いだりしたからといって、生徒を教室外に出すことは
 許されない」
 ……とあるから。

 しかし、この「通達」の文面と、昭和23年12月の「児童懲戒権の限界に
ついて」が一見食い違って見えるのは、この部分だけである。
 あとはほぼすべて同じ内容。
 しかも、食い違うといっても、基本的精神は変わっていないのだ。
(詳しくは、「限界について」の全文を読むと分かる)

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
 
 これらが、本当に、50年以上にわたり「教師の手足を縛ってきた」と言え
るのであろうか?
 このような思想は、今、敢えて「暴力」を正当化しようとしている一部の
「識者」が、世論に訴えるために作り上げた主張に過ぎないのではないか?

----------------------------------------------------------------------
(3)体罰に関する規定は、50年以上前から適正だった

 勘違いしないでいただきたい。

 私は、「体罰は前から容認されていた。だから、いまさら容認しなくてもい
い。どんどん体罰せよ」と言っているのではない。

 私は、「<体罰>に当たるのか、<正当な懲戒や制止>に当たるのかの区別
については、昭和23年当時から、極めて適確な判断が為されていた。だか
ら、それを変える必要はない。今、これを変えろと叫ぶのは、行き過ぎであ
る」と言っているのである。

 体罰は、決して許されない。
 しかし無論、正当な懲戒と制止は許される。
 これらの判断は、50年以上前から、正しく行われていたのである。

 それに対し、「50年以上前の古い体罰論は捨てて、もっと体罰を認めよ」
と騒ぐのは、世論に乗っかって展開される、どさくさまぎれの暴論ではない
か。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

 私は、毎年4月に、子どもたちの前で必ず宣言していた。
「先生は、厳しく叱ることもあります。でも、きみたちを殴ったりすること
は、絶対にありません。体罰は、絶対にしません。安心しなさい。ただし、乱
暴なふるまいを止めるために、力を使うことはありますよ」と。

 私は、教師になる前、「児童懲戒権の限界について」を暗記するほど読ん
だ。教師として生活する日々の中で、その内容を忘れた日は一度もなかった。
 それは、「手足を縛っていた」のではない。
 それは、どんな教師にも潜んでおり、当然私の中にも潜んでいた「暴力への
誘惑」を断ち切る役目を、果たしてくれていたのである。

----------------------------------------------------------------------
(4)体罰容認論者への反論

 ところで、体罰容認論者は、こういうことを言う。
 先に挙げたテレビ「太田総理」で、体罰容認派が言っていたセリフ。

1●「体罰は、生徒へ畏怖を与えるものである。だから必要である」
2●「体罰は、愛情である」
3●「殴りたきゃ俺を殴ってみろよ、先公は首だぜ――そういうセリフを言わ
   れて、だまっていられるのか」

 これらに対し、私は反論する。

1●「生徒に畏怖を与えるものは、教師の深い知性である」
2●「虐待もまた、愛情の名を借りている。同類だ」
3●「そんな挑発に乗るのは、知性で子どもを変える自信がないからだ」

----------------------------------------------------------------------
(5)爆笑・太田が言ったプロの一言

 ところで、最後に書いておきたいことがある。

 番組中、爆笑問題の太田氏は、お笑い芸人とは思えないほどに真剣な主張を
展開していた。(興奮した彼の首筋の血管は、今にもはち切れそうだった)
 そして、体罰反対派の彼は、とてもすばらしいことを言ったのだ。
 私は、その言葉を聞いて、深く納得した。
 その言葉とは……

「体罰なんていうのは、漫才師が、客が笑わないからといって客を無理やりく
 すぐって笑わせるのと同じくらい、(職業の)根幹を覆す行為だ」

 漫才師は、言葉や身振りで客を笑わせる力を持った「プロ」である。
 教師は、知性と情熱で子どもを変える力を持った「プロ」である。
 教師が暴力に頼るのは、知性というワザを捨てたも同然。プロ失格である。
……というわけだ。

 すばらしい考え方。おまけに、すばらしい比喩。やはりプロだな。

----------------------------------------------------------------------
(6)人を動かすには

 デール・カーネギーは書いている。

「人を動かすには、人の心を動かすことだ。これ以外に方法はない」
                       (『人を動かす』創元社)

 体罰で、人の心は動かない。(悪い方に動く)

---------------------------------------------------------------------