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         》》》 小学校教育が危ない! 《《《

     No.58  2007/4/11  著者:福嶋隆史

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         No.58 道徳教育重視の危険性

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【 目 次 】
(1)「徳育」を主張する校長のいかがわしさ
(2)「道徳を正式教科にする」って?
(3)道徳教育は不要か?
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(1)「徳育」を主張する校長のいかがわしさ

 4月――大事な時期だ。
 子どもにも、親にも、教師にも。そして、校長にも。

 教師…特に校長は、相当、気を引き締めてかかっているはずだ。
 校長は、学校の「顔」なのだから。

 ところで、「学校だより」というプリントがある。
 毎月1回、全児童・全保護者・全教職員に配布される。
 カラー印刷で配布している学校も多い。それだけ重要な文書だ。
 そのトップを飾る《校長の文章》は、これまた、学校の「顔」であると言え
る。
 ある意味、校長のマニフェストの一種でもある。

 さて。
 私は最近、とある学校の「学校だより」を見た。
 4月最初に出されたものだ。

 そこには、こう書いてあった(主旨)。
「知育・徳育・体育(知徳体)の中で最も大事なのは、徳育だと私は思う」

 これを読んで、皆さんはどうお考えになるだろうか。


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 私は、まず、こう思った。

「当たり障りのない、平凡なイメージの主張だ。この学校の教育は全体的に平
 凡ですよ、と主張しているようなものだ。情けない」

 さらに、こう考えた。

「なぜ今、校長が、わざわざ徳育を主張する? あやしい。いかがわしい」

 いやもちろん、徳育は重要である。
 しかし、知育・体育を差し置いて、あらためて4月最初に主張すべきことな
のだろうか?

 学力低下が叫ばれる昨今だからこそ知育を主張する、というのなら分かる。
 あるいは、体力低下・運動能力低下もまた同様に問題化しているから、これ
を主張するというのも、分かる。
 だが、そうではなく、徳育、というのである。

 なぜ、そうなってしまうのか?

 要するに、「方法論」を「ぼかす」ことができるからである。

 知育を主張するなら、方法も示さなければならない。
 校長が、具体的な方法もないままに「学力を育てます」とは言えない。
 体育にしても、同様だ。具体的な方策を示す必要に迫られる。

 だが、徳育については、主張するだけでいい。
 方策を示せ、とまでは言われない。
 「道徳を大事にせよ」で終わることができる。

 怠慢なやり方だ。

 もし私が校長なら、「徳育も体育も重要です」と書いた上で、「でもやはり
知育こそが学校の使命です、そのためにはこういう方法を取ります」と箇条書
きで具体的方策を列挙するだろう。
 結果責任が問われる教科指導について主張できる校長こそが、本気で学校を
創っていこうとしている校長だ。

 「徳育」ばかりを訴える校長は、ダメ校長である可能性が高い。
(「知徳体のバランスを」というのなら、まだ分かるが)
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■結論■徳育重視は知育(学力向上)への対策不足をごまかす一手法である。
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(2)「道徳を正式教科にする」って?

 道徳教育とは、今も書いたように、曖昧な分野だ。
 具体的な指導方法を確立しにくいし、指導内容も「心」だから、捉えどころ
がない。
 そこで、道徳を正式な教科にする動きがあるようだ。

 報道によれば、政府の教育再生会議第1分科会では、「道徳」を小中高校の
学習指導要領で正式な教科と位置づけることで一致したそうだ(07/3/29)。

 もちろんこれは、まだ確定の話ではないが、皆さんはこれをどうお考えにな
るだろうか。

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 私は、こう思った。

「まあ、道徳を大切にするのは悪いことではない。確かに、小学校では、道徳
 の授業を週1回きっちりやっている教師は極めて少ない。それは、指導要領
 上、教科として位置づけられていないからだ。それを教科に格上げすること
 で道徳の授業をしっかりやらせよう、という方向自体は悪いことではない」

 しかし、である。

 教科にする以上、数値による評価・評定が必要になる。

 このメルマガで、数値による評価・評定の重要性を何度も説いてきた福嶋で
あっても、道徳についてだけは、避けた方がよいと考えている。

 人間が人間の道徳性を数値で判定するなんて、傲慢すぎる。
 数値評価が最も容易な算数でさえ、今もって評価基準が不明確なのに、道徳
の評価基準を明確化することなんて、30年かけたって出来ないだろう。
 評価基準がないままに道徳性を評定するとしたら、学校はまるで、「法律が
ないままに容疑者を断罪する裁判所」と同じくらい、怪しく危険な存在になっ
てしまう。

 それに、数値による評定が出てきたら、子どもたちがどんどん偽善者になっ
ていくだろう。
 今でさえ、教師の過剰な道徳的期待に応えようと仮面をかぶっている子ども
たちが多いのに、評定を受けるとなれば、「良い子」の仮面はさらに分厚くな
るはずだ。

 学習指導要領には、ちゃんと、「道徳の時間に関して数値などによる評価は
行わないものとする」と明記してある。
 これを守るべきなのである。

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 さらに言えば、中学校では「道徳科教師」なるものが生まれることになる。
「国語科教師」「数学科教師」などが存在するのは分かるが、「道徳科教師」
なんて、居ていいのか? いくらなんでも、行き過ぎだ。
 <道徳科指導免許> をもらうなんて、孔子でさえ、謙虚に辞退するのではな
いか。

 なお、これに関して、再生会議の一委員は、「地域で活躍している人に特別
の免許(道徳科の指導免許)を与えればいいのではないか」などと発言してい
るらしい。
 出ました、「地域の人々」。
(昨今の学校教育の腐敗ぶりを浮き彫りにする一言だ。何でもかんでも外注す
 ればいいと思っている)

 馬鹿も休み休み言え、と言いたい。
 教師でさえ困難を極める「道徳指導」を、地域の人に委託するって?
 無理に決まっている。大混乱だ。

 しかも、そんなことをしたら、個人の偏った思想が、授業という公的な場で
次々と子どもたちに注入されていくことになるだろう。
 危険極まりない。

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■結論■ 道徳教育を正式な教科にするのは、極めて危険である。
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(3)道徳教育は不要か?

 では、道徳教育は不要なのか。
 私は、そうは思わない。

 授業に関しては、現行どおりでいい。
 正式な教科に格上げする必要はないが、無くす必要もない。
 週に1回程度、授業という落ち着いた場で道徳を指導することは、子どもた
ちの成長を促す。
 私自身、道徳授業によって子どもたちが大きく変わったことを、何度か体験
している。上手に授業すれば、「道徳」はとても手ごたえのある時間になる。

 しかし、最も根幹にあるものは、道徳の「授業」ではない。
 それは、教師の人間性そのものである。
 教師の振る舞い、言動、生き様そのものが、すべて、道徳教育になるのだ。

 平日の毎日、8時半から15時前後まで子どもと一緒に生活している以上、
生き方を垂範することは、いくらでも出来る。

 その意味で、教師の生活とは、一瞬一瞬が「道徳授業」だ。
 子どもが、一挙手一投足を見守っている。
 下手なことはできない。

 いや、もちろん、私も多くの失敗を犯してきた。
 だが、失敗を立て直す姿を見せることもまた、一種の教育であった。


 とにかく、教師は、自分の生き様で道徳を指導する以外にないのである。
 だから、授業での道徳指導を過度に重視する必要はない。
 教師は、しっかりと生き様を見せながら、あとは、学力育成のために優れた
授業を展開するよう、専念すべきなのである。

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■結論■教師の人間性、生き様そのものが道徳教育なのである。それで十分。
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