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         》》》 小学校教育が危ない! 《《《

     No.47  2007/ 2/ 7  著者:福嶋隆史


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    No.47 「学年で足並みそろえて」という思想の危険性

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【 目 次 】
(1)技量の低い教師に合わせるなんておかしい
(2)良いものは良い――最終的には、認められる
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(1)技量の低い教師に合わせるなんておかしい

 ひとつの学年に、クラスが3つあるとする。
 当然、担任の先生の数は3人になる。
 1組の担任A先生、2組の担任B先生、3組の担任C先生。

 校長は3人の先生方に対し、「学年内でちゃんと足並みをそろえてやってい
くように」と指導する。
 同じ学年なのだから、3人の先生方の「教育内容・教育手法」が大きく違っ
てしまうのはよくない。だから、「できる限り同じことを、できる限り同じ方
法でやりなさい」というわけである。

 しかし結論から言って、私はこの考え方に賛同できない。
 授業技量の高い教師が、授業技量の低い教師のやり方に合わせる結果になっ
てしまうことが、意外と多いからである。

 学年の方向性を決めるのは、おおかた、学年主任だ。
 その学年主任は、おおかた、ベテラン教師だ。
 ベテラン教師は、おおかた、古臭いやり方をひきずっている教師だ。
 そういう教師は、おおかた、授業技量が低い教師だ。

 一方、研究熱心で技量の高い若手教師は、そういう学年主任のやり方に賛同
できないにも関わらず、それに合わせざるを得ない状況に追い込まれる。

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 いや確かに、公立学校である以上、大きな不公平が生まれてはいけない、と
いうのは分かる。
 だから、次に示す「その1」の考え方は正しい。

━・━・━考え方 その1━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━
 たまたま1組になった為に、算数の授業がよく分からない。
 たまたま1組になった為に、体育の授業の運動量が極端に少ない。
 たまたま1組になった為に、道徳の授業はテレビばかり。
 そういうことは、あってはならない。
 どのクラスの子にも、分かりやすい算数の授業を受ける権利があるし、体育
の授業では十分に汗を流して運動をする権利があるし、道徳をちゃんと教わる
権利がある。
 だから、もし1組の担任が未熟な初任者教師であっても、努力して授業技術
を磨き、2組、3組と同等の授業を保証できるようにしなければならない。
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 そう、これは、正しい。

 しかし、次の考え方はどうなのか?

━・━・━考え方 その2━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━
 たまたま3組になった為に、パソコンを使った最先端の授業を受けられる。
 たまたま3組になった為に、競技百人一首の指導を受けられる。
 たまたま3組になった為に、国語で分析批評の授業を受けられる。
 そういうことは、あってはならない。
 どのクラスの子にも、同じような学習内容と学習機会を与えなければならな
い。
 もし、1組と2組の担任が、パソコンや百人一首や分析批評の指導をしない
ならば、3組の担任とて、それを行ってはならないのである。
━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━

 これは、どうみても、おかしな主張である。
 優れた教育技法を持っている教師が、なぜ、そうでない教師に合わせなけれ
ばならないのか?

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(2)良いものは良い――最終的には、認められる

 私は、このような間違った思想を持った周囲の教師の影響で、かなり痛手を
負ってきた。
 それでも私は、断固押し通した。
 優れた指導を行うことを、遠慮する必要はないからである。
 そして結果的に、学年全体にそれを広めることに成功した。(わずかではあ
ったが)

<その具体例>

 私は、過去に複数の学校で「百人一首」を指導してきた。
 毎日欠かさず行ったのはさすがに私のクラスだけだったが、ある学校では、
週に1度、隣のクラスでも取り入れてくれた。(私が出向いて指導したことも
多かった)
 他の学校でも、体育が雨でつぶれたときなどに私が隣のクラスに出向いて指
導することを、学年主任が許可してくれた。
 おかげで、百人一首の県大会に隣のクラスの子も数人参加して、私のクラス
の子と同じくらいの好成績を挙げた例もあった。

 また、パソコンを使った授業も、隣のクラスや他学年のクラスに出向いて行
ったことがあった。
 あるいは、私個人のパソコンや、パワーポイントのデータを貸し出して、研
究授業で活用してもらったこともあった。

 どれも、一部の理解ある先生方が受け入れてくれたおかげだ。

 良いものは良い、と認めてもらえたのだ。

(パソコンを使った授業方法は、15〜17号に詳しく書いた(が、現在非公
 開)。小冊子をお楽しみに!)
(国語の分析批評の授業(読解指導の最高峰)は、残念ながら他クラスには広
 められなかった。まあ、国語は授業時間数が多いから、他クラスでやるほど
 の余裕はなかったのである)

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 結局、優れた指導によって変貌を遂げていく子どもたちの姿を目の当たりに
して、ベテラン教師たちも、その価値を認めざるを得なかった、ということで
ある。

 学校に限らずどの世界でも同じだが、自信があるなら突き進むべきだ。
 偉そうな若造と言われようが、でしゃばりと言われようが、かまわない。

 良いものは良いのである。

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