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       No.33  2006/11/15  著者:福嶋隆史

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           No.33 こんなものは要らない!

     〜学校現場から無くすべきもの 20選(その4:完)〜
           その1 その2 その3 その4

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 「無くすべきもの 20選」は、今回でひとまず終了。

 目次……【17:時代遅れの「模造紙学習」】
     【18:提案が不明確で、長ったらしい「職員会議」】
     【19:年に数回しかやらない「国際理解教室」】
     【20:子どもをダメにする「教師用指導書」】

 例によって、その項目について一層詳しく書かれているバックナンバーのタ
イトルを【参照ナンバー】として併記する。
 ただし、多くは非公開になっている。
 いずれすべてのバックナンバーを小冊子にするので、どうぞお待ちいただき
たい。

――――■こんなものは要らない!■――――――――――――――――――

【17:時代遅れの「模造紙学習」】

 社会科や総合学習の「学習のまとめ」を模造紙に書かせる教師が、極めて多
い。
 しかし、私はほとんど使ったことがない。

━━━━模造紙は「手間」がかかり、「美観」を損ねる━━━━

(1)「手間」------------------------------------
   ・手間がかかる。時間がかかる。
   ・つまり、子どもたちの学習密度が下がる。

 1枚の模造紙に、3〜4人の子どもが頭をつき合わせて何かを一生懸命書き
込んでいる姿を、よく見かける。「“グループ学習”のまとめを書くんだか
ら、グループで協力して書きなさい」などと、教師はそれらしいことを言う。

 しかし、これは非常に効率が悪いやり方だ。
 1枚の模造紙にまっすぐ体を向けて書ける子は、せいぜい1〜2人である。
 グループの他の子は、書きたくても向きが悪くて書けない。
 だから、どうしたって遊んでしまう。
 あるいは、ケンカやトラブルが始まり、授業がストップしてしまう。

(個々人が画用紙に書いたものを1枚の模造紙に貼り付けるのなら、まだまし
 であるが、それとて、次の(2)の問題が残る)

(2)「美観」------------------------------------
   ・文字が小さくなりやすい。
   ・レイアウトがめちゃくちゃになりやすい。
   ・要するに、読みにくく美観を損ねる。

 ノート1〜2ページに学習内容をまとめるのでさえ、子どもにとっては難し
いことだ。
 それを、バカでかい模造紙に書かせようなんて、その時点で間違っている。
 罫線もマス目もあるようなノートにでさえ、レイアウトをうまく取りながら
読みやすい文字で書くのは難しい。

 片や、模造紙は、紙が大き過ぎる上に罫線も何も無い。
 そんな模造紙に、レイアウトや文字の大きさを考えながら上手に書ける子
は、極めて少ない。
 要するに、子どもにとっては、非常に扱いづらい代物なのである。

━━━模造紙発表の授業は、子どもの集中力を低下させる━━━

 それでも、多くの教師は、模造紙にまとめさせたがる。
 そして、模造紙を使って「発表」をさせようとする。
 それが当たり前だと思っている。

 黒板に、グループごとに書いた「学習のまとめ」(模造紙)が張り出される。
 それを、グループの子たちが順番に読み上げたりしながら、「発表」が行わ
れる。

 しかし、多くの子の文字は、小さい。
 教室の後ろに座っている子には、よく見えない。
 だから、後ろの子は授業に集中しなくなる。
 また、乱雑な文字や、黄色などの読みにくい色ペンで書かれた文字もある。

 クラス中の子が、無意識のうちにイライラしてくる。
 しかも、書いた本人も読めないような文字があり、「あれ? ぼく何て書い
たんだっけ」などと言いながら発表が続く。

 こんなとりとめのない授業では、子どもたちの集中力が下がって当然だ。

━━━━━教室には、模造紙が張り巡らされている━━━━━━

 それでも、模造紙が大好きな先生は多い。
(「旧文化」をひきずっている保守派の教師たちだ)

 そういう先生たちの教室へ行くと、壁が模造紙だらけだ。
 中身は何だろうか。

・子どもたちが書いた社会科や総合学習の調べ学習の結果。
  ・「歴史新聞」とか、「修学旅行の思い出」とか……いろいろある。
・算数の「解法」や「定義」。
  ・たとえば、三角形の内角の和が180度であることについて、実際に確
   かめるために切った画用紙や折り紙を貼り付けた模造紙。
  ・前回書いた罪深き【算数の問題解決学習】で子どもたちがあれこれ考え
   たものを張ってある場合が多い。中には、遠回りな方法とか不正解の方
   法までもが含まれているのに、おかまいなしでベタベタ張ってある。

 いや、「壁にベタベタ」だったらまだいい。
 ひどい教室では、まるで運動会で万国旗を垂らすときのように、教室の天井
付近を縦横無尽に駆け巡る針金から、模造紙が「これでもか」といわんばかり
に垂れ下がり、ひらめいている。
 角度によってはそれが邪魔で黒板が見えなくなったりしている。

━━━模造紙を教室に張り巡らすのは、教師の見栄でしかない━━━

 「研究授業」などで他の教師がたくさんやって来る前日ごろになると、張り
巡らされている模造紙がいつも以上に増える教室がある。
 教室の壁という壁が、模造紙で埋め尽くされる。

 それらは誰かに見せるために張られているわけだが、では誰に見せるのか?

 子どもに?
 おおかたの教師は、そうだ、と答えるだろう。
 しかし、子どもたちは、張り巡らされた模造紙を、実際にじっくりと見てい
るのか?
 否。ほとんど、見ていない。

 では、教師に?
 そう。
 つまり、ほとんどが見栄である。
「ほら、私のクラスでは、子どもたちがこんなに積極的に調べ学習をしたんで
 すよ、見てよね」
というような見栄だ。

「見栄じゃない! その授業に至るまでの学習経過を、研究授業に参加した教
 師たちに理解してもらうために張ってるんだ」という教師もいるが、それは
おかしい。
 だって、研究授業を参観しにやって来た教師たちは、模造紙を見るために教
室に来たのか?
 違う。
 授業そのものを見るために来たのだ。
 子どもと教師が創るナマの授業を見るためだ。

 まあ模造紙を見ている教師も居るには居るが、多くは、ぼんやり眺めている
だけだ。

 かくして、模造紙は誰の目にも留まらない。
 見栄を張る以外には役立たない、無用の長物だったというわけだ。

━━━━張り巡らされた模造紙は、軽度発達障害児に有害である━━━━ 

 黒板の左右などでひらひらと模造紙が舞っていたら、子どもたちの注意をそ
らす絶好のアイテムとなってしまう。
 軽度発達障害の子などにとっては、一層邪魔である。
 私は、模造紙を張らなかっただけではなく、黒板の上下左右には、目立つ掲
示物を何も張っていなかった。
 学級目標などの掲示物も、あえて教室の後ろの壁に張った。

━━━━では、模造紙の代わりに何を使えばよいのか?━━━━

 それは、パソコン、プロジェクターを初めとした視聴覚機器である。
 私は、パソコン、デジカメ、デジタルビデオ、実物拡大機、テレビ、ビデオ
などをすべて駆使して、毎日の授業を行った。

 子どもたちの発表原稿も、個々人にノートを使ってまとめさせた。
 私がそのノートをデジタルカメラで撮影し、画像データをパソコンに入れ、
それをプロジェクターで拡大表示。
 子どもたちは、それを見ながら、発表した。
 ところどころに、写真やビデオもさしはんだから、子どもたちの集中力は大
きく高まった。

 パソコンなんて使えないとか、「美観」なんて大事じゃないとか言っている
教師は、これからは子どもたちに軽蔑され、置いていかれるだけである。
 現代は演出の時代だ。
 子どもたちは、キレイで分かりやすいものが好きなのである。
 これは、子どもに媚びているのではない。
 子どもたちの集中力を高め、学習効率を上げることは、教師の重要な仕事な
のである。

■視聴覚機器を使った授業方法については、下記参照ナンバーにかなり詳しく
 書いてある。

     【参照ナンバー:第15〜17号 授業でパソコン こう使え!】

――――■こんなものは要らない!■――――――――――――――――――

【18:提案が不明確で、長ったらしい「職員会議」】

 私は、過去4つの小学校で教師として勤務してきたが、職員会議がスピー
ディーに終わる学校が1つだけあった。
 その学校では、会議が3時半に始まって4時半に終わった。
 これは、相当スピーディーな部類だと思う。
 多くの学校では、3時に開始、終わりは勤務終了時刻を過ぎて5時半、なん
ていうのがザラだろう。
 1分も休まず1日の授業を終え、子どもを帰した直後に、会議が2時間半。
 誰だって、疲れ切ってしまう。
(しかもそのあと、何時間も残業をすることになる。会議の間、別の仕事は何
 も出来ないのだから)

 会議が早かったその学校は、4つの学校の中で最も職員数が多い学校だっ
た。
 それなのに、素早く終わった。
 それは、議題・提案が明確だったからである。
 いや、数多くの議題を「討議事項」と「報告事項」に分けるところまでは、
多くの学校がやっている。

 しかし、その先が甘い。
 「討議事項」では、次のどちらの切り込み方がよいのだろうか?

1……この議題については、いかがいたしましょうか?
2……この議題について、A案、B案、C案を用意しました。
   どれにしましょうか?

 当然、2がよい。
 1では、職員それぞれが好き勝手な発言をし、時間だけが過ぎていく。
 あるいは、何の発言もないままに、これまた、時間だけが過ぎていく。
 2だからこそ、素早く終わる。

 いや、2でも、会議中にD案やE案ができてしまうことがある。
 そこは、校長のリーダーシップでまとめなければダメだ。
 職員会議で話し合われたことを最終的に決めるのは、校長だ。
 遠慮がちな校長は、いつまでもいつまでも結論を下さずに、教師たちに話し
合わせようとする。
 これは一見、民主主義を重視した「良い校長」のようだが、それは違う。
 授業と同じで、そういうダラダラした「話し合い」はまったくの逆効果なの
である。

 1のやり方で進められる職員会議では、あっという間にタイムリミットがき
てしまう。
 結論が出ないまま、
「じゃあ、続きは明日の放課後、特別に会議時間を増やしましょう」とか、
「提案した○○委員会に差し戻して、話し合ってもらいましょう」とかいう、
曖昧な結果に終わる。
 つまり、何の決議もされずに終わるのだ。
 これじゃあ、その2時間半の会議は、まったくの無駄だったということに
なってしまう。
 疲労度倍増だ。

――――■こんなものは要らない!■――――――――――――――――――

【19:年に数回しかやらない「国際理解教室」】

 名称こそ違えど、このような授業はいまや数多くの学校で行われている。
 つまり、「異文化に触れる」授業。
 外国人講師が教育委員会から派遣され、子どもたちに“お国”の文化を伝え
るわけだ。
 ついでに、英会話も教えてくれる。(あくまでも「ついで」に)

 しかし、その授業の多くは、お遊びである。
 1年生にも6年生にも、まったく同じお遊びをやらせている講師もいる。
 まあ、遊びも立派な文化だから、全否定するつもりはない。
 だが、そんな授業を、年に4〜5回やっただけで、いったい何が得られると
いうのだろうか。

 それをもって「国際理解教室」だなんて、おこがましい話である。
 やめてしまったほうがいい。
 あるいは、最初から「英会話」にしぼった授業をやったほうがいい。

 それが無理なら、国語と算数に置き換えるべきだ。

――――■こんなものは要らない!■――――――――――――――――――

【20:子どもをダメにする「教師用指導書」】

 ここまでの文章が長くなってしまったので、短く書く。

 教師用指導書をご存知だろう。
 分かりやすく言うと、赤文字が入った教科書、つまりは虎の巻だ。
 授業技術を学ぼうとしない教師の多くは、指導書に頼って授業をする。

 しかし嘆かわしいことに、指導書というのは、多くの場合、出来が悪い。
 特に、国語と算数。

 算数は、前回書いた“問題解決学習”を前面に押し出したものが多い。
 指導書に書いてあるのは、「自力解決させよ」という言葉ばかりである。

 国語も、似たようなものだ。
 物語文が出てくれば、やれ「音読劇」をしようとか、やれ場面を「絵」にし
てみようとか。
 「分析的読解技術」の指導方法なんて、どこにも書いてない。

 指導書は、あくまでも参考書だ。
 法規上、教科書を使うことは義務付けられているが、指導書の使用なんて何
ら義務付けられていない。
 そもそも、指導書はただの本である。文部科学省の認定もない。

 もっと優れた具体的指導方法が書かれた本は、山のように売られている。
 本屋でそういう本を手に取ることもないような教師は、いつまでたっても授
業力が向上することはない。

 私は、そういう授業方法に関する本や教育関連雑誌を500冊は読んだ。
 それに、関連する民間団体のセミナーにも100回近く参加した。
 本代もセミナー参加費も、すべて当然「私費」である。
 ざっと100万円以上かけて、学んだわけだ。

 そこまでやっても、授業というのは思い通りにいかないものなのである。

 絶え間ない熱意と努力が、欠かせないのだ。

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 無くすべきもの20選、いかがだっただろうか。
 現場教師あるいは教師経験者から、共感のメールを何通かいただいた。
 嬉しい限りである。
 感謝、感謝。

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