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        》》》 小学校教育が危ない! 《《《

       No.29  2006/10/18  著者:福嶋隆史

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        No.29 「イベント」が多すぎる!(その3)

          ~「たてわり活動」を廃止せよ!~

 《9割の子が嫌う「たてわり活動」が強行され、授業時間が奪われる現状》

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★ 目 次 ★

(1)まえがき
(2)結 論
(3)たてわり活動の具体例と、時間浪費の実状
(4)9割の子は、たてわり活動を嫌っている
(5)あとがき

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(1)まえがき

 前号で書いた運動会のような大行事以外にも、じわじわと確実に授業時間を
奪っていくものがある。
 それは、「たてわり活動」である。

 「たてわり」とはどういう意味か。

 横割り……全児童を、6つの学年に分ける。通常の形式。
 縦割り……全児童を、1~6年生が均等に含まれる複数の班に分ける。
      たとえば、1つの“たてわり班”には、1年生の○○くんと○○
      さん、2年生の○○くんと○○さん、……6年生の○○くんと
      ○○さん、などというように、各学年の子が少しずつ均等に含ま
      れている。

 要するに、「同学年間の交流」という“横関係”ばかりになりがちな子ども
たちの学校生活を、あえて“縦関係”にし、「異学年間の交流」を深めさせよ
う、という教師たちの意図によって行われるのが、「たてわり活動」だ。

 今回は、この「たてわり活動」について論じたい。
 なお、「たてわり」と平仮名表記にするのは、多くの学校での通例である。

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(2)結 論

 むろん、異学年交流は、悪いことではない。
 私は、その根本的な思想までは否定しない。
 いやむしろ、異年齢の人間が交流することは、本来大切なことだ。

 しかし、結論から言って、小学校での「たてわり活動」には価値がない。
 それどころか「有害」だ。廃止すべきである。

 それは、次のような事実があるからである。
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◆第1に、時間がかかりすぎる。教科の授業時間が減らされてしまう。
◆第2に、子どもにとってあまりにも「つまらない」内容が多すぎる。
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(3)をお読みになれば、これらの事実の一端が見えてくるであろう。

 それでも無理やり、「異学年交流」とか「ふれあい」という美辞麗句を優先
しようとしているのが、多くの強行派教師たちのやりかたである。

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(3)たてわり活動の具体例と、時間浪費の実状

 たてわり活動は1年間に渡り様々な形で行われ、かなりの時間を要する。
 学校によりその時間数は増減するが、「たてわり」をまったくやっていない
という学校は、まずないといっていいだろう。
(あるとすれば、地方の小規模校ぐらいか。各学年がそれぞれ5人前後しかお
 らず、全学年合わせても児童数が30人、などという学校。そういう学校で
 は、最初から実質的な「たてわり」になっている。今回は、そのような例は
 除いて考える)

【A……たてわりゲーム集会】+++++++++++++++++++++++++++++++++++

 全児童による、レクリエーションタイム。
 ボールドリブルリレーやら、カード拾いゲームやら……いろいろある。
 でも、たいていは、つまらない内容だ。
 ルールがしっかりしていないから、ゲームとして成立しないことも多い。
 しかも、1人あたりの活動時間はたったの数十秒だったりして、達成感もほ
とんどない。

 たてわりゲーム集会は通常、朝に行われる。つまり、始業の8:30から。
 ゲーム集会が行われる日は、教室で挨拶や出欠確認をする時間すら無い。
   (つまり、なんらかの理由で登校していない子がいても教師が気づかな
    いこともある。これは防犯上非常に重大な問題である)

~~~《整列のために5分》~~~~~~~~~
 子どもたちは、ランドセルを置いて数分の間に校庭や体育館にあわただしく
移動し、たてわり班で整列する。
 まず、整列に時間がかかる。自分がどこに並べばいいか分からない子。
 リーダーがまだ登校していないらしい班。
 いろいろだ。

 まあ、数百名も子どもがいれば、時間がかかるのは当然のことだ。
 しかも、教師が声をかけない。係の子どもにマイクを渡しっぱなし。
 子どもが、「早く並んでくださ~い」なんてやっている。
 お決まりの、「子どもの自主性尊重」ってわけだ。 
 そんなこんなで、全児童の整列完了までに最低でも5分は要する。

 教師がチェックすりゃ早いのに、班員名簿を持ってチェックしているような
教師は、ほとんどいない。
 全部、班長の子にやらせようとする。
 ここでもお決まりの、「子どもの自主性尊重」ってわけだ。
   (つまり、登校したかどうかのチェックを、担任どころかたてわり班そ
    れぞれの担当教師すらも、行っていない。ということは、ゲーム集会
    がすべて終わって初めて、「あれ? ○○ちゃん、来てないの?」な
    んていうことになる。誘拐されていたら、手遅れだ。これについて、
    私はある学校の職員会議で注意喚起の提言をした)

~~~《ゲームのルール説明に5分》~~~~~
 そして、ようやく整列したあと、「集会委員会」などの高学年児童がゲーム
のルールを説明する。
 これが、また遅い。5分はかかる。
 全校児童を相手にしてゲームのルールを説明するには、高い国語力が必要で
ある。
 それを、たいした練習時間も取れていない状況にもかかわらず、子どもたち
にやらせる。
 またまた、「子どもの自主性尊重」ってわけだ。
 そんなの、教師が説明してしまえばいいのに。

 そうこうするうちに、全校児童は皆、ダラダラとし始める。
 当然である。
 そこで、委員の子が「しずかにしてくださ~い!」なんてマイクで叫ぶ。
 時計はもう、8:45である。
 本来なら、1時間目が開始される時刻。

~~~《ゲーム実施に15分》~~~~~~~~~~~
 ようやくゲームが始まったはいいが、内容は、全然おもしろくない。
 多くの子どもにとって、つまらないものばかり。
 すべてを子どもに考えさせるから、そういう結果になってしまう。
 またまたまた、「子どもの自主性尊重」ってわけだ。
 数百名の全校児童で行うゲームの内容やルールというものは、教師が綿密に
考えたって、なかなか難しいものだ。
 それを、全部子どもに任せようとするからいけない。

 それでも強行し、ようやく終了するのが、8:55。
 そして、「横割り」の通常教室に戻って着席するのが、9:00。
 ここから「朝の会」なんてやろうものなら、1時間目は20分くらいしか残
らない。
 本来45分あるはずの1時間目の授業は、こうして、つぶされる。

 ゲーム集会の運営が遅い学校では、私はもう、諦めの境地だった。
 集会のある曜日の1時間目には、まともな授業はできない、と。
 多くの機会に、私は、集会を減らすべきだと提言したが、ダメだった。

 しかしまあ、よく考えてみていただきたい。
 これが、ほぼ毎週につき、1回あるのだ。
 1年間に登校する35週のうち、少なめに数えて25回集会があったとし
て、1回につき25分の授業が失われたら、625分の勉強時間が奪われたこ
とになる。
 14時間分ほどの授業に相当する。
 くだらない、つまらないゲーム集会のために、14時間。
 その分、漢字・計算の練習をやれば、少しは成果が上がるだろうに。


【B……たてわり遊びタイム】+++++++++++++++++++++++++++++++++++

 これは、休み時間に行われることが多い。
 だいたい、月に1回くらい実施される。
 たてわり班のメンバーが集まって、ドッヂボールやら鬼ごっこやらをして、
遊ぶ。
 強制参加である。自由遊びはできない。

 ただでさえ忙しい学校生活の中で、中休みという貴重な20分間の自由を奪
う教師たち。
 いや、「たてわり遊びタイム」が楽しいものなら、それでもいい。
 しかし、低学年にとっては「何をしていいのかわからず」つまらないだけ。
 中学年にとっては「せっかくクラスの仲良しと遊びたかったのに」と落ち込
む、あるいはイライラするだけ。
 高学年にとっては「また低学年のお世話か……」と疲れるだけ。

 せめて、参加したい人だけが参加するようにしたらどうなのか。
 あ、でも、それだと、9割以上の子が参加しないから、成立しないわけだ。
 本来自由であるはずの中休みに、「異学年交流」を押し付けられる子どもた
ちの気持ちを、教師たちはもっと子どもの身になって考えるべきなのである。

【C……たてわり給食】+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 2~3ヶ月に1回くらい行われる。
 普段の教室を離れ、班ごとに別の教室に移動して行う。
 回数こそ少ないが、その準備のため、給食前の4時間目の授業が15分削ら
れる。
 そして、給食後にもとの教室に集まるタイミングが、たてわり班によって大
幅に違うため、掃除や、5時間目の授業にまで影響する。

 また、子どもたちにとって、これほど「つまらない」ものはあるまい。
 毎日一緒に生活しているクラスの友達と食べるからこそ楽しいのに、あまり
顔を合わせないような他学年の子達と顔をつきあわせ、自分の教室とは違う場
所で食事をする。
 準備や片付けのルールも、担当の先生によって言うことが違い、戸惑うこと
ばかり。
 かくして、シーーーーンとした、お葬式の席のような給食会が行われること
になる。

 あとで(4)に書くが、子どもたちの9割が、こんなのやらなくていい、と
思っているのである。
 私は、このような、子どもの思いを無視した無神経なイベントを、即刻廃止
すべきだと思う。

 私は、どこの学校でも、それを訴え続けてきた。
 しかし、ほとんど変わらなかった。
 ある学校では、次年度の学校経営計画を決める時期(冬~春)に、A4用紙
1枚分の提案を出し、「たてわり給食を廃止すべきである」ということを全教
員に訴えたが、通らなかった。(ただし、ある程度の効果はあった)

【D……たてわり全校遠足】+++++++++++++++++++++++++++++++++++

 これまた、つまらないことこの上ない。
 わざわざ全校児童を引き連れて、まる1日かけて公園とかに出かけ、お仕着
せのつまらないオリエンテーリングやレクリエーションをやらせる。
 オリエンテーリングの通過ポイントでは、「歌を歌いましょう」とか、「植
物の名前を言いましょう」なんていう、なんの工夫もない問題が提示される。
 楽しくないから、歌を歌わない(歌えない:声が出てこない)子どもたち
に、教師が「もっと大きな声で!」と“叱咤激励”する。

 薄ら寒くなる光景だ。
(結局は、子どもの自主性どころか、あらゆる意味で子どもに理不尽な強制ば
かりしているのが、自主性尊重教師の正体なのである)

【E……たてわり会議】+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 A~Dそれぞれを、子どもたちに“自主的に”準備させるための事前会議。
 班長だけで行われる場合もあれば、班員全員が参加することもある。
 たてわり給食の場合と同じように、普段とは別の教室で行われる。

 特に、遠足などの前には2~3回実施され、授業時間をまる1時間ずつ使用
する。
 しかし、子どもたちはやる気を見せない。
 当然である。
 目的が、たてわり遠足やらたてわり遊びやら、つまらないものばかりだから
である。
 時間だけが浪費され、何の成果も残らない。

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(4)9割の子どもたちは、たてわり活動を嫌っている

 私は、クラスで、学年で、聞いてみた。
 4~6年生が参加する委員会活動やクラブ活動の場でも、聞いてみた。
「今日のたてわり活動、楽しかった?」と。

 一様に、「つまらなかった、意味ない、面白くない」という声が上がった。
 普段は自分の意見なんていわないような子でさえも、つまらなかったという
意見に賛同し、手を挙げた。

 全校児童に対するアンケートを実施すれば、一目瞭然になる。
 そう思った私は、職員会議で提案した。
 たてわり活動について子どもたちがどう思っているのかを、詳しくアンケー
トしてみたらいかがでしょうか、と。
 そうすれば、多くの子がつまらないと思っていることがはっきりするでしょ
う、と。
 しかし、それは受け入れられなかった。
 結局、多くの教師は、「ふれあい」という美辞麗句の体裁を保てなくなるの
が怖かったのだろう。

**********

 それに、だ。
 そもそも、学校側があえて「異学年交流」をさせてやる必要なんて、ないの
である。
 学校を一歩出れば、子どもたちは驚くほど、いろいろな子達と遊んでいる。
 学校が特段配慮して場を設定しなくたって、子どもたちは自分から、他学年
の子達と毎日遊んでいるのである。

 こう書くと、強行派の声が聞こえてくる。
 どうせそんなの限られた子だけだろう、と。
 なにをおっしゃる。
 限られた子で何が悪い?
 なぜ、そんなにしてまで、見知らぬ子同士を触れ合わせたがる?
 私には、そこが理解できない。

「ふれあい信仰」「たてわり強行派」の教師たちよ。
 今のあなた自身はどうなのだ?
 見知らぬ他人と、そんなにしてまで触れ合いたいか?
 別段仲良しでもない人と、貴重な時間を費やしたいか?

 もっと子どもの身になって考えれば、すぐにわかることだ。
 たてわり活動なんて、「余計なお世話」なのだ。

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(5)あとがき

 子どもの自主性を尊重する――

 これは、本来は重要なことだ。
 私だって、子どもの自主性を尊重したい。

 しかし、本当に尊重するのなら、徹底的に尊重しろ、と言いたい。
 つまり、「何をするのも自由、何もしないのも自由」。
 遊びも自由、勉強も自由。勉強しないで1日中ゲームしててもいい。
 完全なる自由。
 登校しなくてもいい。

 一部のフリースクールには、このような徹底的な思想がある。
 私は過去数年間にわたり、あるフリースクールで、キャンプ等のボランティ
アとして活動していた。
 ほかにも複数のフリースクールを訪ね、見学した。
 そこには、本当に徹底的な自由があった。
 真の自主性尊重があった。

 やるなら、ここまでやらなくてはならない。
 ここまでやって初めて、自主性尊重の価値が出てくる。
 子どもたちの本当の意欲と、やる気と、熱意が、自然に湧いてくる。
 私が関わってきたフリースクールの子どもたちは、生き生きとしていた。
 賢かったし、ハツラツとしていた。
 たてわり活動をさせられている子どもたちの暗い表情とは天地の差。

 学校という場では、中途半端な「自主性尊重」しかできていない。
 なのに、形だけの自由を与え、それを「尊重」と銘打っている教師がいかに
多いことか。

 学校とは、学習指導要領のもとに作られたカリキュラムにしたがって行われ
る教育を受ける場所である。
 だから、学校では、フリースクールのような自由はもともと成立しない。
 それでいいのである。
 むしろ、中途半端な「自主性尊重」なんて不要なのである。

 学校では、教師が主導する。当然だ。
 だ・か・ら・こ・そ、教師は常に子どもの立場に立って自省する必要があ
る。
 子どもがやりたくもないことをやらせていないか、と。
 有害無益なことをカリキュラムに入れていないか、と。
 本当に価値ある教育を行っているのか、と。
 子どもが燃えるような授業を行っているだろうか、と。

 その結果、日本の小学校から「たてわり活動」などというお仕着せのイベン
トが、できるだけ減っていくことを、切に願う。
 そして、その分、国語や算数がしっかりと行われることを。

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