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        》》》 小学校教育が危ない! 《《《

      No.14  2006/7/5  著者:福嶋隆史

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    No.14 腐敗する「総合学習」(3)授業内容の実態

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 注:「総合学習」の正確な呼称は「総合的な学習の時間」である。
   本文中では便宜上、総合あるいは総合学習と表記する。
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<目次>
◆ まえがき
◆ 本論
(1)お遊び授業と雑用タイム
   《例1》どんぐり工作
   《例2》修学旅行記録の模造紙発表   
   《例3》雑用タイムの例

(2)私が行ってきた総合学習の授業
   《例1》パソコン操作の技能を身につける授業
   《例2》ゴミ問題を扱った授業
   《例3》食品添加物の授業
   《例4》タバコに手を出さない子を育てる授業
   《例5》英会話の授業
◆ あとがき 〜英会話導入〜
◆ 著者プロフィール
◆ 注
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◆ まえがき

 総合について書くのは、はっきり言って疲れる。
 テーマが大きすぎる。重すぎる。
 おそらく、読むほうもちょっと身構えてしまうだろう。

 だが今回も、総合を扱う。予告してしまった以上…!
(ひとまず今回までにするが)

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◆ 本論

(1)お遊び授業と雑用タイム

《 例1 》どんぐり工作〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 3年生の総合は、1・2年生の生活科の延長(あるいは生活科そのもの)に
なりやすい。
 前回も触れたが、「秋の実(どんぐりなど)を使った工作」なんてのは、そ
の代表格だ。
 図工科か生活科にそのまま置き換えてもいいような授業。
 総合でやる必然性がない授業。

 どんぐりでコマを作ろう。
 どんぐりで人形を作ろう。
 どんぐりでやじろべえを作ろう。
 文化祭的行事に関連づける場合は、どんぐり作品を展示する、あるいはそれ
らを来訪者にも作らせる「作ってみようコーナー」を設置する、という流れ。

 まず、そのためのどんぐり拾いに、2時間かけて公園へ行く。
 その公園へ行くための諸注意や形式的な準備に1時間。
 帰ってきてから、公園でのできごとを作文にするのに1時間。
 どんぐりをどう使うかを「自主的に」考えさせるのに1時間。
 グループ分けと、「グループごとの自主的な計画立案」に2時間。
 実際の工作作業に3時間。
 作った物をクラス内で「友だちに発表」するのに2時間。
 文化祭的行事の当日の役割分担に1時間。
 また、当日の作品説明や発表などの練習、リハーサルに3時間。
 行事の「しおり」や「ポスター」づくりに2時間。
 行事のあと、作文を書くのに1時間。

 まあそんなこんなで、合計19時間。
 こんな内容を、校内・校外の研究授業で発表するという教師も多い。

 私は別に、秋の実で工作するのを否定しているわけではない。
 それを3年生の総合学習で19時間かけて扱う必要があるのか、と言ってい
るのだ。
「その19時間を通して、子どもたちにどんな力がついたのか? 一言で答え
 てほしい」
 こう問われて、明確に答えられないのならば、目標の曖昧なお遊びタイム
だったと言われてもやむをえないだろう。

《 例2 》修学旅行記録の模造紙発表〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 
 文化祭的行事の中で、6年生が修学旅行の記録を模造紙に書き、パネル展示
にして発表するという形式がよく見られる。
 修学旅行の諸準備と重ね合わせ、およそ30〜40時間くらいかけて取り組
んでいる場合もある。
 1年間の総合学習の3分の1だ。

 これも、その活動のすべてを否定するわけではない。
 しかしやはり、「その40時間の授業で、子どもたちにどんな力がついたの
か?」と問い正したくなる授業がほとんどである。

 力のつかない授業に終始する原因は、はっきりしている。
 目的、内容、方法の3つだ。

 第1に、教師も子どもも【目的】意識が薄すぎる。
 教師や学校全体が、総合学習の目標を「豊かに関わり合う子どもを育てる」
なんていうふにゃふにゃの文言にしている限り、子どもに明確な目的意識が生
まれるはずがない。

 第2に、扱う【内容】の範囲を広げすぎている。
 栃木県の「日光」を修学旅行地に選ぶ学校は多い(神奈川の学校等)。
 それを総合学習の時間とリンクさせるのは、まあ結構なことだ。
 しかし、総合として「何を」調べ研究し、発表するのかについて、ほぼ完全
に子ども任せにしている教師が多い。
 これがいけない。
 教師は、「調べる内容」をある程度<限定>すべきなのだ。

 そう言うと彼らは、「それだと“自ら課題をみつける”ことにならないじゃ
ないか」と反論する。
 勘違いもはなはだしい。
 私は、「『日光に関する<人物><建造物><地理><歴史的背景>のどれかを調べ
よう』ぐらいの<限定>は、最低限教師が行え」と言っているに過ぎない。
 その4つの選択肢と具体例を教師が提示することくらい、当然必要だ、とい
うことだ。(「人物」と言ったって、まだ範囲が広すぎるくらいだ)

 その程度に内容を<限定>せずして、完全に自由にさせるから、目的が拡散
し、授業が成り立たなくなる。
 教師は、目的や内容を<限定>し、その範・囲・内で<自主的に>させるべ
きなのである。

 第3に、発表の【方法】が古すぎる。
 デジカメ、ビデオ、パソコンなどを活用した発表方法は、今や不可欠だ。
 模造紙なんて、古すぎる。
 何が書いてあるのか不明なくらい小さな文字で、図書室の本や現地のパンフ
レットを書き写し、それを読むだけの発表を、6年生がやっている。

 やる方も、見る方も、意欲減退だ。
 まあ、いい加減、模造紙は止めることだ。OHPも古い。
 どのようにでも加工できる「データ」の形で記録し、それをパソコンとプロ
ジェクターで発表するのが、今や当然である。
 小学生でもパワーポイントでプレゼンできなければ恥ずかしい時代が、すぐ
そこまでやってきているというのだから。

《 例3 》雑用タイムの例〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 以下、総合学習の中で行われるケースが多い作業の例である。
 無論、これらの作業を総合学習の授業時間にやってはいけない、という決ま
りはないし、扱い方によっては総合学習として成立する場合もある。
 また、どうしても総合学習の時間にやるしかないという物理的制約もある。
 そんなことは、元教師として痛いほど分かっている。
 しかし、しかしだ。
 本当に、これでいいのか?
 国語や算数を大幅に削って生み出した総合という授業は。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・運動会のプログラム(しおり)に載せるイラストを描く
・運動会で応援するときに使う「旗」や「うちわ」を作る
・運動会や文化祭的行事に招待する敬老会のお年寄りへの手紙を書く
・「宿泊体験学習」のためのあらゆる準備
   しおり作り、グループ分け、バスの座席決め、部屋分け、係分担、仕事
   分担、班長決め、係ごとの打ち合わせ、係ごとの準備……などなど
・全校朝会で歌う「今月の歌」の練習
・全校集会で行う「ゲーム」のルール説明
・たてわり活動に関わるあらゆる準備や事後作業
   たてわり給食、たてわり遠足、たてわり集会、たてわり会議……
・卒業生を送る会の準備
   歌の練習、整列の練習、送る言葉の練習、校内の飾りつけ作業
・新入生を迎える会の準備
   歌の練習、整列の練習、迎える言葉の練習、校内の飾りつけ作業
・音楽鑑賞会、観劇会。事後の作文。
・区や市の体育大会・球技大会などのための諸準備(練習以外)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 まだまだ、たくさんある。
 概して言えることは、イベントに付随した作業があまりにも多すぎるという
ことだ。
 要するに、イベント自体が、多すぎるわけだ。

 本来なら、これらのほとんどは、「特別活動」で行うことだ。
 しかし、特別活動の時間枠は限られている。
 だからやむをえず、総合で行うことになる。
 国語や算数を400時間近く削って作った、総合の時間で。

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(2)私が行ってきた総合学習の授業

 学習指導要領で義務付けられているはずの「学校の全体計画」が曖昧な学校
では、逆に教師が好き勝手に授業することができるケースが多い。
 まあ、これを良くとらえるか、悪くとらえるかは別として…
 私は、結構好き勝手にやらせてもらった。
(もちろん、カリキュラムや週案で校長に事前許可?を取っているわけだが)


《 例1 》パソコン操作の技能を身につける授業〜〜〜〜〜〜〜〜(情報)

 パソコンを使って発表をさせるには、パソコン操作能力そのものを身につけ
なければいけない。
 しかし、そういった「技能そのものに焦点を絞った授業」を否定する教師は
多い。例によって、「子どもの興味・関心や自主性が見られない」などと言い
出す。
 とんでもない。
 子どもたちは、1人残らず全員が楽しんで自主的にやっていた。
 特に、キーボードのブラインドタッチ(キーを見ないで打つこと)に挑戦す
る授業や、パワーポイントで漢字クイズ・計算クイズを作る授業。

 ブラインドタッチなんて早すぎると思うだろうか。
 まあ、いつまでもマウスだけでパソコン操作ができると思っている人は、そ
ういうことを言うだろう。
 検索入力の際も、メールを書く際も、キーボードをいかに速く打てるかは、
欠かせない技能である。
 国語で行う「視写」や「漢字の書き取り」と同じようなものだ。
 補助輪つきの自転車を、早めに普通の自転車に切り替えてあげるだけの話
だ。
 もちろん、段階を追って行う。
 当初は、母音の位置だけを練習する。
 ローマ字入力で打ち込むキーの半分は、母音だから。
 子どもたちは、どんどん打つのが速くなった。

《 例2 》ゴミ問題を扱った授業〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(環境)

 ゴミを分別しましょう、ゴミを減らしましょう、で終わりではない。
 リサイクルしましょう、で終わりでもない。
 その先までを、授業した。

 今やよく耳にする「生分解性プラスチック」の技術だが、当時は最先端だっ
た。
 コーンなどを原料にしたプラスチック。
 年月をかけると土に返るという。
 それを購入し、実際に土に埋めてみる実験をした。

 あるいは、有用微生物群の授業。
 生ゴミを捨てずに活用する方法を、給食の残滓(ざんし)を使い実験した。
 出来あがった堆肥は、子どもたちが育てている植物の肥料として利用した。

《 例3 》食品添加物の授業〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(健康)

 タール色素(赤色2号など)の有害な添加物を実際に水に溶かし、そこに木
綿を浸し、色の落ち具合を実験・確認した。一方、自然な赤(トマトジュース
など)は、さっと色が落ちることも、比較・実験した。
 また、実際の菓子のパッケージの表示をみて、添加物とそうでない物とを分
けてみた。

《 例4 》タバコに手を出さない子を育てる授業〜〜〜〜〜〜〜〜(健康)

 私自身がパワーポイントで作成した、様々な画像やクイズ入りの“ソフト”
を用いて授業した。
 インターネットを使い、世界の国々によってタバコの値段や箱の外側の危険
度表示が大きく違うことに気づかせる授業も行った。

《 例5 》英会話の授業〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(国際理解)

 フラッシュカードでの英単語練習に始まり、日常会話を盛り込んだロールプ
レイやゲームによる授業を行った。

----・----・----・----・----・----・----

 ……挙げれば切りがない。
 ただ、《例1》〜《例5》をよく見ていただきたい。
 前号で指摘した、「国際理解、情報、環境、福祉・健康」という、学習指導
要領上での「最重要の例示」をすべて扱っている。
(福祉はここでは書かなかったが、手話や点字などの授業をもちろん行った)
(もちろん、学年により扱う内容は変わった)

 さきほど「好き勝手にやった」なんて書いたが、あくまでも学習指導要領を
もとに授業を作っているわけだ。
 「お遊び授業」より、ずっといいだろう。

 それが、公立学校教師のあるべき姿だ。

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◆ あとがき

 英会話導入に対する論議が熱を帯びている。
 私は、導入に大賛成だ。
 ただし、英会話に賛成なのであって、「お遊び的国際理解」には反対だ。

 「国際理解」の授業は、今やどこの学校でもやっている。
 しかし、その大半が、的外れな授業をしている。
 外国人講師を呼んで「ふれあえ」ば、それでいいと思っているのだ。
(またまた「ふれあい崇拝」!)

 「英会話」こそを扱うべきなのに、どこかの国のバンブーダンスとか、どこ
かの国のリズム遊びとか、紙風船を蹴る遊びとか、……そんなものばかり。
 そのような内容を、1年生から6年生まで通してやっている学校もある。
 国際理解なんて名ばかりで、ただの「外国の遊び紹介タイム」。

 困ったものだ。

 “国際”の、何を、どう、“理解”したのか。
 まあ、教師の中にも、これじゃおかしいと思っている教師は多いはずだが、
結局は教育委員会が派遣している講師だし、しょうがない、などという結果に
なっているのが現状だ。

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 総合の論議は尽きない。
 総合シリーズは、いったん今回でストップする。
 またいずれ、書きたいと思う。

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